腐女子と「ジャンル」

腐女子はなぜ群れるのか?について考えてたんだけど

「ジャンル」について考えてたら面白くなったので、ちょっと書いておく。

 

 

「ジャンル」とは

まぁ知ってる人が大半だと思うけど、一応書くと

ジャンルというのは同人用語で、恐らくコミケのジャンルコードから来ている。

私はコミケに行かないので知らんが、同人誌のかなりは二次創作であって

同人でジャンルと言ったら鬼滅とかポケモンとかの作品名を指す。

だから「ジャンル撤退」=その作品での同人誌出すのをやめること

「ジャンル移動」=別の作品の二次創作に乗り換えること、となる。

 

オタク全体で見ると、単にメカとかホラーとか百合とかいった

作品傾向をさす用語として使われることが大半だ。特に男オタクはそう。

 

 

腐女子が言う「ジャンル」とは

腐女子が「ジャンル」と言う時はまた微妙に意味が違っていて、

基本的にはジャンルコード(鬼滅とかポケモン)なんだが、作品そのものではなく

その作品の二次創作群とか、その界隈をジャンルと呼んでいるようだ。

 

具体的に言えば、twitterなら同じ作品の二次創作や妄想を上げてるアカウント全体、

pixivならその作品のタグで二次創作を上げてるユーザーやその作品群を

漠然と「ジャンル」と言ってるっぽい。

 

同人用語の「ジャンル」が単なる分類上の用語であるのに対して

腐女子が使う時にはもうちょっと”場”みたいなニュアンスが強いように感じる。

これは腐女子に顕著ではあるけど、女オタク全体、同人オタク全体に

言えるのかもしれない。

 

 

「自ジャンル」「ジャンル者」

腐女子は昔から「自ジャンル」って言い方をする。

 

自ジャンルってのは「自分が属しているジャンル」という意味だ。

例えば「自ジャンルの神からお褒めの言葉を頂いて有頂天になった」とか

「自ジャンルは若い子が多いからマナー悪くてイヤになる」とか言う。

 

この「自ジャンル」って言葉はおおかた腐女子しか使わない。

これは腐女子のジャンルへの忠誠心というか、一途さの表れのような気もする。

男オタクはジャンルという概念が薄い。

同人誌も作家買い、表紙買いはするけど「ジャンル買い」はなかなかしない。

それに対して腐女子はどんなに崇め奉った「ジャンルの神」も

「ジャンル移動」すれば即座に見切りをつける。(…という人が多い。)

 

ジャンル者」という言い方もあって、例えば

「今のジャンルはまだまだ描きたいけどジャンル者が無理」とか言う。

 

また腐女子は「自カプ」という言い方もする。

これはそのまんま「自分が属しているカップリング」という意味だ。

 カップリングに属してるって感覚が私には見当がつかない。

 

 

「自ジャンル」の変容

ここ数年、SNSの影響か「自ジャンル」という言葉は漠然としてきていて

腐女子的なニュアンスを含まない、単に好きな作品やそのファンを指して

「自ジャンル」と呼ぶ若い人が出てきたように感じる。

 

場合によっては公式まで「自ジャンル」呼ばわりされることもあって、例えば

「自ジャンルは面白いのに売り方が下手」とか「自ジャンルもっと広めたい」

などと使われるのを見る。

もうコミケとか二次創作とかいった条件が消えている。

 

ちょうどいい用語が無いから便利に使われてるんだろうけど

誘い受け」とか「解釈違い」とか、腐女子用語だったものが

ネットで毒抜きされて一般化する現象、ちょいちょいあるな。

 

 

 

ジャンルへの帰属意識の高さ

なんで腐女子がジャンルという言葉をよく使うのかと言えば、

それが腐女子にとって非常に重要だからにちがいない。

 

例えば同人板や知恵袋で「ジャンル者に受け入れてもらえない」という

腐女子の悩みを見かける。相互とかリア友の話ならまだ分かるが、

ジャンルやカップリングが同じだけのネット上の赤の他人にまで広げて

「無視されてる」「壁を感じる」「私はいらない子」と嘆いてるのだ。

 

 

しかもROMや外野から評価されても「ジャンル者」から反応が無いから

ジャンル撤退しようか迷っているという腐女子まで見かける。

 

これが私にはよく分からない。

カップリング用のアカウント作っただけで「群れ」に入ったことに

なるんだろうか?腐女子の世界は。

娘に聞いたら「なる」って言うからますます分からない。

「ただし構ってもらえると思い込むのはどうかしてる。」と補足が付いたけど。

 

私はオリジナルしか描かないので、この感覚が心底分からない。

描きたいなら描けばいいのに。SNSがしんどいなら個人サイトでも。

しかし「ジャンル」にこだわる人にとってはそういう事じゃないんだろう。

 

 

 

ジャンルの切れ目が縁の切れ目

twitterで腐活動している娘に聞いてみた。

相互がジャンル移動したらもう完全に縁が切れるのか?

そしたら「うん」と。

 

でもさぁ、多少なりとも仲良くなったり趣味が合ったりしたわけでしょ?

そしたらその人が移動した先にはアンタも興味あるものがあるかもでしょ?

 

しかし娘が言うには

「そんな知らん腐向けでタイムライン埋め尽くされても。誰やねんって。

 相手もそのへんは分かってるから垢変えて誘導するし。行かないけど。」と。

 

あれか。ママ友みたいなもんか。

子ども同士がお友達だから付き合いでさんざん公園ランチお教室とご一緒して。

卒業したらバッサリ縁が切れるアレか。

 

まぁ腐女子の全員がこうだと思ってるわけではなくて

少なくとも創作BL系は全く当てはまらない。

 

 

ヤンキーとチンパンジーを比較してみる

うちの近所のイオンにはヤンキーファミリーが大勢いる。

 

ヤンキーは道を譲らない。堂々と通路の中央を歩き、目で威嚇する。

稀にヤンキーとヤンキーが遭遇するが、ギリギリでどちらかがよける。

そして苦々しい顔をする。よけて歩くことの何がそんなにイヤなのか。

 

ヤンキーは香水がキツい。しかもたいがいクセが強い。

 

ヤンキーはスモークで真っ黒のミニバンから音楽をMAXで流す。

 

ヤンキーは地元にこだわる。地元でどれだけ名を馳せたか、

地元の強いやつにどれだけ勝ったか、あるいは繋がっているかにこだわる。

引っ越しても地元での武勇伝は言い続ける。

 

ヤンキーは繁殖力が高い。だからうちの近所は子供がやたら多い。

 

ヤンキーは生き急ぐ。いかに早くセックスするか、結婚するかにこだわる。

そして離婚も早い。

 

ヤンキーはコンプライアンスが低い。規則やマナーを理解しないので

違法行為を動画に撮ってはSNSに上げて通報される。

 

ヤンキーは笑いのツボが独特だ。一発ギャグやベタな笑いを好み、すぐ飽きる。

リズムネタや視覚的にインパクトのある笑いを好むように見える。

 

ヤンキーは仲間に手厚い。他人から巻き上げてでも仲間に施そうとする。

仲間かそうでないかによって、態度が180度変わる。

 

…ここで、もしかしてヤンキーとチンパンジーは共通点があるのでは?

と思いついた。

 

 

 チンパンジーは父系的複雄複雌群

 詳しくないのでとりあえず検索してみる。

ヒトの進化の過程をたどると、一番最後に分岐したのがチンパンジー

だいたい500万年前くらいらしい。

遺伝子も98%くらい一致するとかよくニュースで見た。

 

チンパンジーは20~100頭くらいの集団を作る。

オスにはゆるい序列があり連合を作る。またメスより優位になろうともする。

序列の高いオスの方が、より多くメスと交尾できる。

オスは集団にとどまり父系社会を作る。

メスは、成長すると別の群れに移動する。

メスは5~6年に一度出産し、子供と一緒に過ごす。オスは子育てをしない。

別の群れ同志は、非常に仲が悪く殺し合いになることもある。

 

…なんだかヤンキーとかなり似てる気がするんだけど、どうだろう。

 

  

なんちゃって一夫多妻制

驚いたんだが、霊長類で一夫一婦制はテナガザルしかいないらしい。

まして「添い遂げる」という条件まで付けると、動物全体でもかなり少ない。

 

考えてみれば日本の一夫一婦制も

実際は不倫や、ヤンキーにありがちな「子供が生まれるたびに父親が違う」

という状況によって崩壊ぎみの家が結構あるのでは。

 

つまり序列が高いオスほど多くのメスと交尾し、多くの子供を残せる。

一方でメスはオスの勢力図を見ながら複数のオスと交尾する。

これはチンパンジーとよく似ている。

 

人間社会でも、男の方が格差が大きい。

2019年に出た日本の生涯未婚率を見てみると、男性が23.4%、女性が14.1%。

これ見ただけでも確信するんだけど、未婚シングルマザーの存在や

男性の未婚率が急増し続けていることを考えると、実際の格差はさらに

大きい予感がする。

 

これは一夫多妻ともちょっと違っていて、女の側も相手を一人に絞る必要がない

ただ、全体の傾向として「あぶれるのは序列の低い男」という事になる。

 

 

ヤンキーとネット社会

ところで、ヤンキーはネットにあまり適応できてないように見える。

ヤンキーがバカッター騒動を起こしやすかったのは、情弱というだけでなく

ネット社会がヤンキーにとってあまりに大きいせいではないかと思う。

 

分かりにくいので、もうちょっと説明してみる。

ヤンキーは地元にこだわる。そして仲間がいる。

”仲間”は場合によっては親戚や家族であったり、走り屋や飲み友達、同窓生、

職場の上司部下など、顔が見える範囲に限られる。

それ以外の人間はヤンキーにとっては基本的に敵かザコであって

配慮する必要のない存在だ。

 

それに対してネットは匿名が基本であり、顔も素性も分からない。

一見赤の他人がバラバラに行動しているように見えるが、

タレントや政治家がちょっと失言すれば、怒ったネット民は

どんどん拡散し繋がりあい、たちまち巨大な勢力となって炎上させる。

ネットでは利害の一致によって人はのらりくらりと立場を変えるから

顔見知りの「義理」が通用しない。

 

オタクはネットとの相性が非常にいい。

それは単にデジタルに強いというだけでなく、

社会でのヒエラルキーが低いため利他的に生きるしかなかったからだ。

アリで言えば働きアリ。道は譲るし教室ではおとなしい。

でもネットなら世間や常識の皮をかぶり数の暴力をふるうことで

日頃の鬱憤を晴らせるのだ。

 

 

自己家畜化と社会のマクロ化

 ここで自己家畜化について考える必要が出てくる。

 

ヒトがここまで進化した背景には自己家畜化があるんじゃないかと言われる。

つまり牛や馬、犬や猫にしてきたのと同じように

ヒトはヒトを飼いならし品種改良してきたのではないか?という説だ。

  

人間はどうやって自分を品種改良したのか?

和牛なら、よりおいしい牛を人間が選んで繁殖させるのを繰り返すわけだけど、

人間が人間にそんなことをしたら優生思想じゃないのか?

・・・と思ってしまうところだが、恐らく張本人は「社会」だ。

人間が社会を作り上げ、その社会が人間を飼いならし品種改良していく。

つまり、社会に貢献し認められた人間が選択され、適応できなかったら脱落する。

 

そう考えると、ヤンキーが想定する「社会」ってのはチンパンジー社会と

さほど変わらないローカルな集団だと言える。

それに対してオタクが身を寄せるネット社会ってのは、グローバル化

「個人」が消えかかったバーチャルで巨大な集団だ。

  

 

ヤンキーの動物的本能

ヤンキーの群れ意識、別の群れとの抗争はもう野性の本能ってことで

いいんじゃないか?と思う。そういう事にしておく。

 

また車の爆音やきつい香水についても、マーキングや威嚇ということにしよう。

道を譲らないのも、威嚇にちがいない。

  

生き急ぐ習性については、多分、石器時代くらいの大昔は

みんなヤンキー並みに出産が早かったんじゃなかろうか。

むしろ今が晩婚化しすぎている。初産が平均で30歳超えってかなりやばい。

 

生き物として考えればヤンキーが正しいのだ。

ヤンキー車はどうなんだ?とも思うが、そもそもあんな鉄の塊に乗って

馬みたいな速さで移動する時点で不自然なのであって…

 

ヤンキーの習性についてこうやって考えてみると、

実感できない社会には飼いならされないという強い意志のようなものを感じる。

自分がそこに帰属する意味があると思える集団にだけ義理を果たす、

それがヤンキーなんだろう。多分。

 

 

 

 

 

 

 

 

ナマモノ(nmmn)二次創作の謎ルール

ナマモノマナー!ナマモノマナー!ナマモノマナー!

三回声に出して言ってみて下さい。私は言えませんでした。

 

 

ここ2年くらい、実況者や2.5次元の隆盛のせいか

ナマモノ界隈の炎上や学級会をよく見かけるようになった。

 

はたから見ていると複雑かつ意味不明なルールが多くてびっくりする。

 

あと10年もしたらナマモノ界隈はガラッと様変わりしているかもしれない。

その頃にこの日記を見たら「10年前ってワケ分からんな」と思うか、

それとも「何も変わってないな」と思うか、興味がある。

なので外野の私から見た2020年の状況を書いておく。

 

ナマモノ、nmmnとは何なのか

ナマモノって何よ?という人のために簡単に説明しようと思ったけど

どうもナマモノやってる人たちの間でも定義が割れているっぽい。

 

まぁpixivやtwitterで「nm」と入れて検索するだけで夥しい数のナマモノが

出てくるので、それを見るのが早い。

でもわざわざそんな検索せずとも見た事のある人は多いはずだ。

 

ナマモノとは、ざっくり言えば「実在する人物での二次創作」なんだけど

全部というわけではないようで、その線引きが人によってかなり違う。

昔はよく「実在する人物の腐向け二次創作」に限定して使われてたけど

今は夢も含むと言う人が多い。

ナマモノの定義が狭い順に並べるとこんな感じ。

   

   ↑狭

  • 実在する人物の腐向け二次創作だけをナマモノと呼ぶ
  • 実在する人物の腐、夢など恋愛要素を付加した二次創作がナマモノ
  • 上記に加え獣化、エロ、リョナなどもナマモノ
  • 上記に加え獣耳、コスプレ、眼帯など属性付加もナマモノ
  • 実在する人物のコスプレもナマモノ(←ただの仮装では…?)
  • 公式に存在しない衣装のイラスト、想像の会話をSS化もナマモノ
  • 願望や妄想を含むツイートやコメントも全部ナマモノ
  • 似顔絵、ファンイラストも含め実在する人物なら全部ナマモノ

   ↓広

 

うーん…

これで行くと、例えば私が忘年会で錦織のコスプレしたらナマモノ?

24時間テレビでよくマラソンランナーの似顔絵FAXあるけど、あれを

自分で考えた服装で書いちゃったらナマモノ?

分からなくなってきた。

ためしにうちの娘に聞いてみた。ナマモノってどこからだと思う?

 

娘曰く

タレント本人に見せられないと思ったとこからじゃない?

と。

 

なるほど。たしかに、なんでわざわざナマモノなんて隠語

呼ぶかと言えば、タレント本人に見せられないからに違いない。

名前からして後ろめたさが滲み出てるもん。

 

つまり忘年会で錦織のモノマネやりきったらナマモノじゃないけど

こりゃ人には見せられないなと思ったらナマモノだと。…あれ?ほんとか?

 

ちなみにドラマや映画など、3次元作品の二次創作を半ナマ(hnnm)と呼ぶ。

他にも色々と微妙で、

例えば新撰組でエロ妄想してもナマモノとは呼ばれないが

ちょっと前にヒットした「ボヘミアン・ラプソディ」で

下手に妄想ツイートすると即座にナマモノ警察がやって来る。

またナマモノといったらおおかた女性向けで、特撮やアベンジャーズ

二次創作小説でも男が描いたバトルものだと半ナマとはまず呼ばない。

 

 このように、つきつめるとナマモノの定義ははっきりしない

そしてこれが学級会が荒れに荒れる一因だと私は思う。

 

ナマモノは隠れなければいけないらしい

人々が言うには、ナマモノには厳しいルールがあり、それを守らねばならない。

 

よく言われるルール、マナーを列挙してみる。

  • ご本人や一般的なファンの見ている所でやってはいけない。
  • twitterでは公式アカウントをフォローしたりコメントなどしてはいけない。
  • youtubeなどの動画にナマモノ要素のあるコメントをしてはいけない。
  • twitterなら鍵垢、pixivならマイピク限定にしなければいけない。
  • ナマモノ二次創作を大っぴらにいいねや拡散してはいけない。
  • 人物名、カップリング名などは検索にヒットしないよう伏せなければいけない。

 

要は「隠れるべき論」ってやつだけど、なぜ隠れなければいけないのか?

というと、彼らが言うには

  • 名誉棄損の可能性があるから。
  • ご本人の目に入るとショックを与えるから。
  • ご本人や事務所が苦言を呈したり問題になって自由に活動できなくなるから。
  • 一般的なファンの目に入ると不愉快にするから。
  • 不愉快に感じた荒らしが晒し行為や通報をして自由に活動できなくなるから。

らしい。

 

 

マナー厨によって世間に知れ渡る

しかし、ネットを見ていると自然とナマモノの存在が目に入る。

例えば私は知恵袋を「創作」でワード検索して眺めているんだけど

ひんぱんにナマモノ界隈のマナーの悪さを嘆く質問が流れてくる。

しかも我々だやすとぷりなどジャンル名も申告してくる。

 

twitterを見れば「拡散お願いします」「お願いですからルールを守って下さい」

と注意喚起して回っている人たちがいる。

あるいは大手の同人作家がナマモノ発言すると即座に炎上・拡散される。

   

ためしにtwitterで「nmmn」と検索してツイートを眺めていると

マナー厨がナマモノツイートを貼って「ほんとやめて」

「頭おかしいの?」と晒している。

ここで重要なのは、けして一般人がナマモノを不愉快だと晒しているのではなく

同人界隈のマナー厨が「マナーを守れ」と言って晒してるのだ。

 

言っとくが私は外野なので

ナマモノが禁止になろうが炎上しようがどうでもいいんだが、

マナー厨はいったい何がしたいのかが分からない。

 

 

 

逆に言えば、「隠れ」さえすればOKらしい

  ナマモノに全く興味が湧かない私からすると、この「隠れるべき論」と

マナー厨の押しの強さになんとも言えない不自然さというか、ウソ臭さを感じる。

 

 

「隠れるべき論」を広めている人たちは、少なくともナマモノが「悪い」という

自覚があるからこそ「隠れるべきだ」と思ってるはずなのだ。多分。

 

いや、ほんとに悪いことかどうかは知らんがそう感じながら、隠れてでもやる…

やらないという選択肢が無いことに、なんだか業の深さを感じる。

 

だいたい、ぜんぜん隠れてるように見えない。

ネット上にはナマモノ二次創作が溢れているし、

twitterには「公式をフォローしてないだけ」「伏字にしてるだけ」

「画像にワンクッション入れてるだけ」で隠れてる(いや隠れてない)

ナマモノ者が大量にいる。

鍵垢でやるべき!と叫ぶ「隠れてます派」でもプロフィールに

ナマモノ専用垢を貼ってフォロワー募集しているし、

マイピク限定にしている人でも定期的に浮上してるのを見かける。

pictBLand(腐女子専用投稿サイト。実質ナマモノの流刑地)に投稿してる人でも

twitterの公開垢で「投稿しました」と律義に報告。

考えてみれば当然で、完璧に隠れ切ったら誰にも見つけてもらえない。

子供時代のかくれんぼと同じで、ほどほどに見つかる隠れ方をしない限り

ルールとして成立しないのだ。

 

 

この状況をどう考えればいいのか。

この、隠れるべきと言いながら隠れてるようには見えない状況。

 

1.すごく悪い事だと思いつつも欲求が抑えられない

2.実は悪い事だとは思ってないが、思ってるフリだけしている

このどっちかしかないと思うんだけど。

 

しばらくtwitter見ながら考えたけど、これでいくと2しかない。

1の場合はかなりの苦悩があるはずだけど、楽しそうにしか見えない。

2の場合は逆に多弁になるだろう。「悪いと思ってるフリ」をするために。

そう考えればマナー厨の圧の強さや学級会の盛り上がりっぷりは納得できる。

 

つまりナマモノの「隠れるべき」というマナーの押し付けは

免罪符でしかないと私は推測している。

それは罪悪感や不安を打ち消すための自己暗示でもあるだろうし、

周囲から叩かれずにナマモノやるためのポーズでもあるんだろう。

 

 

我々だ!の二次創作ガイドラインでモメる人々

ところで2018年に実況グループの「〇〇の主人公は我々だ!」が

二次創作を全面的に歓迎するガイドラインを出した。

これはナマモノやらない私でも、かなり衝撃だった。

なんせ全面的に歓迎なのだ。

しかも「利用者間では…各人の解釈や方針に干渉しない」という一文まである。

 

これは私から見ればナマモノ界隈が詭弁で作り上げてきた「マナー」を

ぶち壊すに十分なインパクトで、人々がこれをどう受け止めていくのか

ものすごく興味があった。

 

上にも書いた通りでナマモノ者が隠れろと声高にいうのは

表向きは「ご本人を不快にしないため」という思いやりであっても

内実は「自分が叩かれずにナマモノをやり続けるため」という利己的な動機なわけで、

(まぁ私がそう思ってるってだけだけど。)

それをご本人がはっきり突き放し(マナー厨から見れば。)

しかも「干渉しない」と、勝手なマナーで縛ることもやんわり禁じているわけだ。

 

これは荒れる!!笑

当時そう思った。そして当然のように荒れた。

 

見ているとマナー厨のスタンスは大きく2つある。

ひとつは「同人マナー、ナマモノマナーは絶対であって、それを理解してない

我々だの公式ガイドラインは認められない。一切無視するのが正しい」

という強硬派。

もうひとつは「我々だのジャンル内ルールとしては公式ガイドラインに従う

べきだが、それより上位にネットマナー、同人マナー、ナマモノマナーが

まずあって、その範囲内で公式ガイドラインに従うべきだ」という折衷派。

 

これ一見すると「折衷派が正しいんじゃね?」と思うが

よく考えてみると折衷派も我々だの公式ガイドラインを無視してることには

変わりないのだ。

 

例えば現状、twitterやpixivに堂々と我々だの二次創作を投稿しているファンが

大勢いるが、折衷派のマナー厨はそれに対して「ナマモノ二次創作は鍵をかけて

下さい」と警告する。

なぜなら、これはジャンルに関係なくナマモノの共通ルールだから。

しかし我々だの公式ガイドラインには「各人の方針に干渉しない」とある。

 

ひとつ疑問なのは、我々だの二次創作は一体誰に迷惑をかけるんだろうか?

とりあえず公式側は歓迎している。

となるとナマモノ二次創作を好まない一般的なファンだろう。

 

しかし「ファンが不愉快になるから鍵をかけろ」という理屈が通るなら

二次元も含めたあらゆる二次創作が鍵をかけるべきという事になる。

公式がガイドランで許可していても、だ。

例えば東方みたいな二次創作ありきのコンテンツでそんな事を

言ってる奴がいたらバカにされるだろう。

我々だも二次創作を歓迎している時点でそういうコンテンツのひとつと

割り切った方がいいんじゃなかろうか。

 

まぁファンじゃないから関係ないけど。

 

 

ナマモノ警察の暴走

ちょっと話を元に戻す。

ナマモノの定義ははっきりしない。

 

例えば前に、知恵袋でこういう質問があった。

 

『私はとある配信者さんのファンで、似顔絵を描いてtwitterに上げたら

配信者さん本人が喜んで下さって、動画に使ってくれました。

しかし匿名で「そのイラストはナマモノだから削除しろ」と警告を受けました。

せっかく気に入ってもらえたのに、消したくないです。』

 

質問が削除されたのでちょっとフェイク入れたが、

マナー厨が複数いるらしく困っている様子だった。

 

このケースで言えば、お呼びじゃないのは明らかにナマモノ者の方であって

当の配信者と質問者にはナマモノという概念自体がない。

そもそも二次創作という概念もないだろう。

 

昔は二次創作は個人サイトや同人イベントに限られていて

一般社会と切り分けられていたが、SNSの普及で混ざり合ってしまった。

その結果、一般人にまでナマモノマナーを押し付けているのだ。

 

 

 

私達はマナー厨の策略にはまっている!

私はどっちかと言えば二次創作自体が嫌いなので、

みんなが隠れてやってくれたらさぞかし快適だろうとは思う。

ただし「隠れろ」と言う気はないし、そもそもそんな権限もない。

 

マナー厨もただジャンルが同じってだけの赤の他人なのに

なぜあんなに堂々と同調圧力かけられるのか。あの神経が分からない。

 

「二次創作を大っぴらにやるとアンチが湧いて晒される・荒らされるからダメ」

って意見はよく見るけど、

ほんとに隠れてるならどんなにアンチが湧いても高みの見物していられるはずだ。

 

 

ここにマナー厨の詭弁があるわけで、

自分たちも隠れ切ってはいないからこそ悪目立ちするヤツが許せない

マナーで周りを縛る必要があるんだろう。

 

芋づる式に晒されるって言うなら、お前も隠れられてないよと私は言いたい。

そしてマナー厨が一番目立ってるよ、と。

 

 

・・・

・・・

もしかして、私たちはマナー厨にまんまと乗せられているんじゃないか?

つまり、本当にみんながマナーを守って隠れ切ったら、誰にも見つけてもらえずに

ジャンルが滅亡する。あるいは隠れない派だけが楽しそうに盛り上がり、

隠れる派だけが滅亡する。そんなの許せない。

 

 

私たちはマナー厨によってナマモノというジャンルを知り、

ナマモノには厳しいマナーがあると知ったのだ。

マナー厨の思う壺なのだ。なんかムカつく!

 

実際この効果はてきめんで、知恵袋にもひんぱんに

「最近とあるアイドルにハマり、私もイラストを描くようになったのですが

nmmnルールというものがあると知りました。初心者なので教えて下さい!」

って感じの質問がひんぱんにあり、そのたびにマナー厨は

「そんなことも聞かなきゃ分からないような人は、分かるまでROMって下さい。」

とさっそく嫌味をぶつけている。

  

つまり目立ってるヤツを引きずりおろす作業と、(免罪符程度に隠れている)自分を

見付けてもらう作業を一石二鳥でやってるのがマナー喚起なんじゃないのか?

そう考えた方がなんだか納得できる気がしてきた。

なぜ腐女子はエロネタで盛り上がるのか

※2020.02.24編集

 

twitterには、たまに腐女子の下ネタがトレンド入りする。

ためしに検索で出てくる過去の下ネタをあげると

「カラ松おしっこ我慢大会」「屈強な受けの前立腺ボタン」「メス堕ちチャレンジ」

「このタグを見た腐女子は好きな体位を言う」

 

語感のインパクトが強いせいで、頻度のわりに世間へのダメージは大きい。

 

私は中学時代から腐女子に囲まれて育ったので

腐女子の下ネタ・エロネタ好きはよく知っている。

知恵袋を見ていても腐女子の友達が教室で下ネタを絶叫するのをやめさせたい」

という相談が多いが、これ系の相談で夢女子のパターンを見たためしがない。

 

 

 

腐女子と「笑い」

誤解してる人がいるかもしれないが、腐女子はエロネタを

けしてムラムラするあまり我慢できなくて叫ぶのではなく

面白いと思ってるからわざと叫ぶのだ。

 

はたから見てて思うに、腐向けはギャグ率が高い。

面白いかどうかはさておき、笑いに走る傾向が強い。

それに対して夢やNLは、もちろんギャグもあるが割合としては低い。

また下ネタ率も格段に低い。

  

うちの娘(腐女子)は「夢女の何がイヤって面白みがない」

「腐向けはギャグが多い」と言う。

冒頭であげたトレンドワードも恐らく腐女子にとっては面白い。(多分)

 

私も女なので思うんだけど、普通、女は下ネタを言いにくい。

言ったとしても生々しくなったり、場が凍る。

オバちゃんはいくらか許される。岩井志麻子とか。

(ババアの下ネタも断固許さない人も当然いるだろう)

 

 

ちょっと別の方向から考えてみる。

昔からゲイやオカマはギャグや下ネタによく使われてきた。

それに対してレズやオナベで笑いを取るのはかなり難しい。

まぁ今の時代はどっちも難しいけど。

つまり腐向けは男×男という点で笑いを取りやすいのかもしれない。

 

 

 

腐女子になると羞恥心が消える?

ネットでは、腐女子には羞恥心がない、という批判をよく見る。

 

 

それはどうだろうか。

うちの娘を見てても、私の周りにいた腐女子を思い返しても、

どうも現実の恋愛では人一倍羞恥心の強い女が多いと思う。

オクテというか、慎重派というか。

ただ、妄想は下品極まりない。…ことが多い。

そしてそれを面白いとかカッコいいとすら思ってそうなフシがある。

だからネットではっちゃける。

 

腐女子の羞恥心は、あることはあるんだけれども

現実へ全振りされてしまったのかもしれない。

 

 

腐投影説による推測

前に書いた腐投影説でこの羞恥心についていくらか説明した。

つまり腐の根底には抑圧がある

そして抑圧された女性的な性欲は「受け」に託される。

 

抑圧された感情というのは、本人は自覚ができない

だから腐変換したとたんに性への罪悪感や後ろめたさが消え去り

堂々と下ネタツイートできてしまうんじゃないか?

…というのが腐投影説による推測だ。

 

 

場の認識が世間と違うのでは?

twitterを見ていて思うのは、どうやら腐女子twitterに隠れているつもりらしく

堂々と人目にさらしているとは思ってないらしい、という事だ。

だから批判されると「twitterは自衛が基本」「嫌なら見るな」とキレる。

 

その結果、エロネタがトレンド入りする。

twitterのログを掘り返してみても、トレンド入りしたことすら面白いと

思ってるようで、あまり気にしている様子は無い。

これはオタク全般の悪いとこだと思うんだけど、twitterはオタクツールである、

twitterなんか見てる時点で同じ穴のムジナである、なんて言ったりもする。

 

「単にそう思いたいだけだろ!」って気もするけど。

 

 

 

 

腐女子は男オタクのマネをしている?

 

男オタクは気づいてるのか分からないが、私から見ると

腐女子は男オタクになりたくてしょうがないように見える。

少年漫画や男児向け作品を好み、空気読まずにニコ動を荒らし、

LINEやtwitterで猛虎弁や5ch用語を使う。

バブみ」「シコ」など女が使うと違和感ある単語も嬉々として使う。

 

それで批判されると

「男オタクの方がずっとマナーが悪いのになぜ腐女子ばかり批判するのか」

と怒り出す。

 

たしかに男オタクもプリキュアポケモンでさんざんエロ妄想やエロコメしたり

twitterでエロ流したりしてるわけだから、納得いかないだろう。

 

 考えてみれば、ネットが無かった大昔から、私の周りの腐女子

どこかしら男になりたがってるような感じがあった。

俺女だったり、少年誌や青年誌ばかり読んでたり、

自分の事を「男っぽいってよく言われる」とか言っていた。

 

もしかすると、下ネタを堂々と言うのも男オタクの模倣なのかもしれない。

腐女子の「モブおじさん」なんて、まさにという感じだ。

  

そう考えると、男オタクは腐女子の言動から

自分たちを振り返ってみてもいいのかもしれない。

 

 

自己表現、性の解放としての「腐」

腐女子を見ていて独特だと思うことに、妄想力のたくましさがある。

 

ネットを見ていると腐向け二次創作や腐ツイートの多さに驚く。

そして女オタクの9割は腐女子なんじゃないか?と思えてくる。

 

恐らく「女オタク」と呼べる人種の大半は、漫画や小説を読み漁ったり

アニメを見る、イベントに行く、グッズを買う、そしてそれを報告する、

ここで終わってしまう。

 

それに対して腐女子の妄想力、生産能力は桁が違うように感じる。

 

腐女子の大半は二次創作派であって、ジャンプ漫画などの一般作品を餌食にする。

対して商業BL派は少なく、また習性が一般的な女オタクと似ていて消費中心だ。

 

この二次創作派の腐女子にとって、腐活動の中心は腐変換であって、

腐変換というのは必ず妄想ツイートや二次創作の形となって現れる。

だからネットには腐向け二次創作が溢れる。

 

そしてそのかなりがエロネタ、下ネタであることを考えると

腐というのは女オタクの性欲を形にしてカタルシスを得るための装置なんじゃないか?

とも思えてくる。

 

 

 

 

 

「公の場で二次創作の話をしてはいけない」というルールを守る必要は無い

反発覚悟でためしに書いてみる。

 

ネット上の、twitterや同人板や知恵袋などを眺めていると、ひんぱんに

この警告を目にする。

 

「公の場で同人作家、同人誌、カップリング名などを出してはいけない」

 

とりわけ女性向けに多い。

 

ちなみに私は二次創作はしないしどっちかというと嫌いだけど、

twitterやpixivで二次創作が目に入る事はよくある。

 

「公の場」とはどこなのか

例えばYahoo!知恵袋には毎日のように

「前にtwitterで見た鬼滅の二次創作漫画がどうしても見つかりません…」

といった質問が投稿される。

なんで私がそれを見ているかというと、「創作」で検索してるからだ。

 

すると必ず複数の同人オタクから

「マナー違反だから誰も答えられません」「すぐに質問を削除してください」

と厳しい警告が入る。

 

ネット初心者の多いYahoo!知恵袋では「なぜダメなんですか?」という

無邪気な質問もひんぱんに上がる。

それに対して同人オタクの回答は、超絶長文ながらざっくり言うと

二次同人はグレーゾーンでひっそりやることでお目こぼしをいただいてるから

一般人が見ているような公の場所で話題にしてはいけないんだ、と。

だいたいそう書いてある。

 

ネット上の「公の場」とは一体どこなのかよく分からないが

Yahoo!知恵袋はどうやら同人カテゴリであっても「公の場」らしい。

 

一方、2ちゃんねるの同人板でも具体的な名前を出してはいけないという

慣習があるけど、それは板のローカルルールで「作家名、サークル名は伏字推奨」

となってるからであって「公の場だから」ではない。

また晒しやアンチ活動の拠点になりやすく、

書き込む本人も身バレしたくないから伏せる、という面が大きい。

 

一方でtwitterは「公の場」ではないと見なされているようで、

買った同人誌やpixivで見た二次創作の感想を語ったり、おすすめの同人作家や

作品を教え合っている人が大勢いる。

 

これは一体どういう事なんだろう?

私から見ればtwitterの方がよっぽど「公の場」だ。

なんせ公式アカウントや一般的なファンも大勢いて、更にリツイートなどで

拡散される可能性も高い。

それに私のようにキーワード検索でtwitterを見ている人間もいるし

作品名やキャラ名だけ伏字にしたところで、カップリング名やプロフィールを

見れば何の二次創作してるのかは簡単に分かる。

てか、簡単に分かるようでないとフォロワーも増えないだろうし。

 

このへんの感覚が私にはよく分からない。

 

 

なぜ話題にしてはいけないのか

なぜ「公の場」で二次創作の話題を出してはいけないか。

彼らの返答はだいたいこう。

 

公式や原作者がエゴサして二次創作の話題を目にしたら禁止の方向に動くかも

しれないから。

…だったらエゴサ対象になりやすいtwitterが一番まずいだろ。

そして作品名とキャラ名さえ出さなきゃ公式から見えないという根拠は何なのか。

同人オタクがちょっと調べれば見付けられる情報を公式が見付けられないわけない。

 

二次創作を嫌うファンが不愉快になり、ますます二次創作の風当たりが強くなるから。

…これも上に同じで、公式とファンが大勢いるtwitterが一番まずいだろっつうの。

知恵袋の質問を取り締まってる場合じゃない。

 

自分の名前や同人誌のタイトルを出された同人作家さんがショックで活動を

やめるかもしれない。もしそうなったらあなた一生恨まれるでしょうね。

…確かにこの理屈は多少理解できる。

ただ、堂々とtwitterで作品を公開したり宣伝している同人作家は

話題にされても仕方ないのでは。隠れてるように見えないし。

話題にされただけで辞めなきゃいけないような事はそもそもやるべきじゃない。

 

そういうわけで、私はこの「公の場で話題にしてはいけない」というルールに

納得していない。

 

 

一般人には守るメリットが無い!

何より腹立たしいのは、そもそも二次創作が好きでも何でもない一般人が

twitterなどを見て「芥右ってなんですか?」「轟爆ってなんですか?」などと

知恵袋に質問しただけで即座に「マナー違反です削除してください」が来ることだ。

 

質問してる側からしたら、タイムライン見てたらひんぱんにこういう謎の単語が

出てくるから何だろうなと思って聞いただけなのだ。

 

この異様さを当の同人オタクは理解しない。

  

そもそもこの「公の場で同人作家やカップリング名を出してはいけない」

というルールは、一般人にとっては意味がない。

上に書いたとおりで、このルールを守らねばならない理由は

「二次創作を守るため」「ジャンルを守るため」であって、外野にとっては

どうでもいいのだ。

 

例えば「パチンコ屋に換金所なんて無い」という暗黙のルールに

パチンコやらない一般人が従う意味なんて1ミリも無いし、

「私たちは男なんて作らないよね」と念押してくる女友達に

義理立てする必要もない。

守るメリットが片方にしか無いルールは、ただの押し付けであって

ルールとして成立してないのだ。

 

 

twitterに隠れている」という感覚

それにしても、なぜtwitterは二次創作の話題が許されるのか。

なぜ「公の場」ではないのか。

そしてなぜtwitterで堂々と垂れ流される二次創作を、見かけた人間すべてが

よそで話題にしないに決まってると思っているのか。

 

 

これについてtwitterや知恵袋で調べてみると、私から見れば詭弁としか

思えないような言い分が山のように出てくる。

 

公式だって暇じゃないんだからわざわざ伏字のカップリング名やキャラ名で

エゴサなんてしないし、仮にしたところで何も言ってないということは

黙認しているのだから外野がとやかく言うべきではない。

…これよく言われるけど、じゃあ外野が話題にすることも黙認されるんじゃ

ないの?あと公式が作品名でしかエゴサしないって事は無いと思うよ。

 

 

自分の知らない所で勝手に自分の話をされていたら不愉快なのは当たり前。

二次創作するのは自由だけど、それを他人が勝手に話題にするのはマナー違反。

…これもよく言われるけど、ネットで公開した時点で他人に話題にされる事は

覚悟するもんじゃないの?例えば私のブログもたまにtwitterで話題にする人がいる。

褒めてる時もあればボロクソに言ってる時もあるけど、それは自由では?

二次創作に限ってそれが許されないという理由は?

 

twitterはフォロワー同士でつながるシステムだから赤の他人のことまで考える

必要は無い。あなたが赤の他人なら蚊帳の外にいることを自覚すべき。

twitterの検索機能や拡散機能をなんだと思っているのか。

それにtwitterはバイトテロや迷惑行為で晒される、いわゆるバカッターが

続出したわけで、赤の他人に晒される危険はネット上でもトップクラスのはず。

 

twitterGoogle検索に出にくいから、検索避けになっている。

あえてtwitterにこもっている同人作家を、Google検索に出やすい知恵袋などで

話題にするのは晒し行為に当たる。

…一瞬なるほどと思うけど、twitterに公式アカウント置いてtwitterで情報提供してる

公式が大半の今の時代にこの理屈が通るとは思えない。

ツイートもGoogle検索で出てくるし、たまになぜかべったーの画像まで出てくるよ。

 

・・・という感じで、やはり私は納得してない。

というか、twitter同人活動している人は

twitterに隠れてるつもりであって堂々とオープンにやってるという自覚は無いらしい、

という事だけがよく分かった。

 

ガイドラインで許可された二次創作はオリジナルと同じでは?

例えばあんスタとか刀剣乱舞のように、公序良俗に反しない非営利の二次創作は

許可されてるジャンルがある。

こういうのはtwitterで二次創作するぶんには問題ないし、また二次創作が

どっちかというと嫌いな私も容認しなければいけない。

 

ただ私が疑問なのは、こういうジャンルであっても他と同じように

「他人が公の場で話題にしてはいけない」というルールがまかり通っている

ことだ。ガイドラインで許可されてるのに、一体何がいけないのか。

 

例えばtwitterにはオリジナルの漫画を上げているアマチュアがたくさんいる。

投稿サイトや個人サイトにもたくさんのオリジナル漫画がある。

それらは「他人が勝手に話題にしてはいけない」なんてルールは無くて、

twitterだけでなく5chや知恵袋でも堂々とおすすめや批評されている。

 

これについて同人者がよく言うのは

オリジナルは話題にされれば閲覧が増え、場合によっては書籍化やプロ化の

恩恵があるが、二次創作にはそれが無い。むしろリスクしか無い。

…って意見だけど、どうも納得いかない。

じゃあなんでわざわざ拡散されやすいtwitterで二次創作するの?

オリジナルだってプロになりたいわけじゃない人、

批評を求めてない人も山ほどいるだろうに。私にはこの違いが分からない。

 

まぁ私もオリジナル描きだから思うんだけど

批評を求めてなくても、批評されてしまうことへの覚悟というか諦めは

オリジナルを公開した時点でするしかないとは思う。

 

そして東方とか、男性向けの二次創作だとオリジナルとほぼ同じ扱いに

なっているジャンルがある。こういう感覚には私はすごく納得できる。

 

結局叩かれたくないだけでは?

今までの長ったらしい話を要約すると、私が思う二次創作ルールの疑問点はこうだ。

  • twitterなら公開垢でも隠れているという思い込み
  • twitterで拡散されたら喜ぶくせに外部で話題にされると激怒
  • オリジナルは批評するが二次創作は批評してはいけない

この矛盾は一体どういうことなのか、しばらく考えてみたけど

結局マナーとか隠れてるとかは言い訳であって、晒し、叩きが怖いだけなんじゃ

ないかと思えてきた。

 

なぜtwitterは良くて、5chや知恵袋がダメなのか。

フォロワーは吟味した上で繋がってるし、ログを見ればアンチ臭いやつはすぐ分かる。

怪しいと思ったらブロックすればいいし、

自分のツイートはどんなに拡散されてもヤバいと思ったら削除してしまえばいい。

でも5chや知恵袋は匿名性が高く、ファンに見せかけた晒し行為かもしれない。

それに、外部に晒されたら削除できない。

 

・・・でもこれ、オリジナルも同じじゃない?

と思うけど、外野の私でも二次創作は敵が多いってことだけは分かる。

同じキャラやカップリングを好きに改変しあってるのだから当然だ。

恐らく二次創作してる人たちの多くは、自分自身もジャンル者への嫉妬や不快感を

抱えていて、晒したい叩きたい衝動があるんだろう。だから疑心暗鬼になる。

これは同人板を10年くらい眺めて私が学習したことだ。

 

 

リスク管理は外野に押し付けるものではない

二次創作しない私が一番言いたいのは、

二次創作のルールとかマナーってのはやってる人たちのためのものであって

外野の一般人にとっては意味が無いってことだ。

そして買い手、ROMにとっても「守らないとチキンな作家が筆を折るから」

という以外のメリットは無い。

 

だから「公の場で同人作家や同人誌、カップリング名を出すな」という警告は

そのジャンルの人間にしか適用されないですよ、と、私はこれを言いたいのだ。

だから、簡単に外野の目に入るtwitterでやるんならリスクも覚悟しとけと。

そんなに危険なジャンルなら、やめるか本当に見えないところでやってくれと。

よく分からん詭弁で外野まで縛ろうとしても無理ですよと言いたい。

 

そして、なんでこういう矛盾に満ちたルールが生まれたのかといったら

同人界隈の炎上しやすさ、敵の多さが原因なのであって

「公式や一般人が不愉快になるから」などと周囲を盾にするのもやめてもらいたい。

どっぷりハマると感覚が麻痺する現象

 

先月の宇崎ちゃんポスターの一件でクソフェミと萌えオタが

熱く語っているのをあちこちで見た。

 

私はもう10年以上献血してないし

宇崎ちゃんという漫画も知らなかったのでとやかく言う筋合いもないんだけど

なんだか色々考えてしまったので、それを書いてみる。

 

 

漠然とした「恥ずかしい」という気持ち

あのポスター見ての、私の正直な感想は「恥ずかしい」だった。

なんだかよく分からんけど恥ずかしい。これ献血ルームに貼ってたの?

 

このクリアファイルお渡ししていますー、あ、いいですー

みたいな会話が受付で何度もされるの想像しただけで無性に恥ずかしい。

 

別にダメとは言わない。最近、お色気表現がことごとく自粛の方向で、

知らないうちに居酒屋のグラビアポスターも無くなってるし

レースクィーンも廃止されてるし、なんだか潤いのない世の中に

なってきたと思う。まぁババアの私の心はグラビア見ても潤わないけど

世の中がクソマジメになりすぎている気がする。

…気はするんだけど、あのポスターは、なんか恥ずかしい。

いや、私も萌え系の漫画を買うしpixivも見るし自分でも描くので

ああいう絵柄にはとても馴染みがある。

でもあれが献血ルームにあったのを想像するとたまらない。

 

そう言えばイオンに行くと、よく飲料やお菓子がアニメなんかと

コラボしていて、「5個購入でもれなくクリアファイルGET!」とか

やっている。せんべいのパッケージにいきなりイケメンイラストが

描かれてたりもする。

私はそういう時、絶対に買わない。

そのせんべい目当てにイオンに来てたとしても頑として買わない。

なんだか分からんが買ってやるもんかという気持ちになる。

 

あれが好きな人がいるからやってるんだろうし

赤十字も無難な広告打つよりほんの一部の層にでも響くことやりたいんだろう。

だからダメとは言わない。

 

お茶の間に下ネタが流れる瞬間の気まずさ

この「恥ずかしい」という気持ちをどうにか説明しようと思ったけど

できなかった。

でも無理やり例えるなら…

家族団らんに突然テレビドラマが濡れ場。バラエティで「セックス」発言。

あれ。

別に宇崎ちゃんポスターがいかがわしいとか、イオンにぶら下がってた

BASARAのクリアファイルが下品だとか言いたいわけではない。

でも感覚としてはあれ。

 

 そうだ、萌えオタが反論に引っ張り出してたfree!の駅構内の広告も

ありかなしかは置いといて、なんか恥ずかしい。

 

 

ジャニオタをバカにするK-POPファンのUさん

もしかすると私はこういうオタクセンスを無意識に蔑んでるんじゃなかろうか。

そんな気もしてきた。

 

そう言えば職場のMさんはファンクラブ入るくらいの嵐ファンで、

聖地巡礼してきた話が面白かったので聞いてたんだけど、その時に

すぐ横にいた韓流どっぷりのUさんが、明らかに引いていた。

 

私が「へー!すごーい」と言うたびに「えー(苦笑)」「いやー(嘲笑)」

って感じで、もう「ダサッ!ジャニダッサ!」って心の声がだだ漏れ。

このUさんは他にも「あの人スマホ持ったままうろついてたからポケモンゴー?とか

やってるんじゃない?や~ね~」とか大声で言う。

 

私から見るとジャニも韓流もそんな変わんないよ…と思うけど、

Uさんの目にはジャニーズやゲーム全般がものすごくダサくて恥ずかしいものと

映っているようだ。

 

知りすぎると「恥ずかしい」という感覚が麻痺してくる

確かに、ジャニーズの謎センスは私も気にはなっていた。

裸にチョッキ?な衣装。丸ゴシックのうちわ。昭和感のある歌詞。

ジャニーズと言えばあれ、というイメージが強すぎて興味が持てない。

 

とは言え、はるか遠方のステージで豆粒と化した彼らには

ビカビカに輝く衣装を着てもらわないと見えない。

うちわもダサいダサくないの問題じゃなく、必要。

そして同じ規格でみんなが作れるようなものでないといけない。

けしてジャニオタはあの衣装やうちわが好きなのではなくアイドルが

好きなのだ。付随するあの独特の様式は色々な事情によってだんだん

出来上がったものであって、いちいち疑問にも思ってないんじゃなかろうか。

 

そう言えば仮面ライダージオウが始まった頃、誰もが「顔にライダーって

書いてある…」と困惑し、1年この違和感に耐えられるだろうか?と思ったが

ものの数週間で完全に麻痺した。うちの娘に「顔にライダーって

書いてあるけど、あれどうなの?」と聞かれて「えっ、何アーマーか分かって

便利でしょ?」と答えてからハッとするのだ。

 

こういう風に、どっぷり浸かった人ほど何も感じなくなり

外野ほど表層に拒否感を示す。

 

この現象、色々なところで起きてると思うんだけど

名前付いてないのだろうか?

 

とりあえず「感覚疲労」とでも呼んでみる

麻痺しやすいものと言えば、鼻。

嗅覚は5分で麻痺するらしい。

たしかに焼肉屋に行くと、いい匂いを感じるのは最初の一瞬で、

すぐに分からなくなる。

悪臭から逃げられない時にストレスで死なないように出来てるんだろう。

そしてこの「鼻が麻痺してにおいが分からなくなる現象」を嗅覚疲労というらしい。

 

なので、とりあえずこの「どっぷりハマると感覚が麻痺する現象」を

「感覚疲労」とでも呼ぶことにする。

 

たまに、毒ガス攻撃かって量の香水付けてる人いるけど、

あれも嗅覚疲労によってにおいを感じられなくなってるらしい。

 

宇崎ちゃんは巨乳だけど、ここ数年萌え絵・エロ絵の分野で

おっぱいインフレが起きていて、これくらい思い切った巨乳にしないと

巨乳キャラという印象を与えられない、という実情がある。

だから萌え絵にどっぷりの人ほど「この程度で何がセクハラだ?」と言い

一般人ほど「人間離れしていて不自然だ」と言う。

これも感覚疲労の結果だと思う。

 

私が思うに、感覚疲労によって起きる問題は大きく2つで、

ひとつは表現がエスカレートし世間の感覚と乖離すること。

もうひとつはコアなファンほど世間の目に鈍感になることだ。

 

これは必ずしも悪い事じゃなくて、これがあるからこそ文化に個性が

出るんだろうと思う。けれど公共の場にふさわしいかどうかは

いったん鼻をリセットしないと判断できない。

 

個人的には宇崎ちゃんもFree!も、セクハラ上等でやればいいと思った。

そして私はこれからもクリアファイルは貰わない。

 

サブカルとは何なのか

※2017年にYahoo!ブログに書いた日記をまるまる移動しました
 
 
 
 
  テレビニュースやネット記事を見てると、
  「サブカル」の意味が、人によって微妙に違う気がする。
 
  この微妙な違いについて、私が思ったことを書いとく。
  
サブカル=オタクコンテンツ? 
  「サブカルチャー」というと、数年前に政府が打ち出した
  クールジャパン戦略で海外にガンガン売り込むと意気込んでいたアレ、
  というイメージが強い。
 
  つまり漫画アニメゲーム、あとアイドルとかコスプレとかいった
  オタクコンテンツだ。
 
  実際は別にオタクコンテンツだけ売ろうとしてたわけじゃなくて
  和食とか伝統工芸とか技術とか、色んなもんが対象だったけど
  なんだか話題にされまくったせいか、サブカルオタク文化
  ってイメージが強い。
 
  昔にくらべてオタクが増えてる感じもする。
  
  
サブカル=クソオシャレ系?
  これとは全く別のルートで、なんか言葉には出来ないんだけれども
  イラッと来るような独特なオシャレ感漂う若者を指して「サブカル系」
  と呼ぶことが多い。
 
  むりやり言葉にすると、下北系とかロキノン系とか、
  あるいはアングラ系、インディーズ系とかそんな感じ。
 
  「サブカルクソ女」と言ったら、
  それはアニメイトに居るようなオタク女では決してなく、
  20年くらい前の音楽を懐古し、古着を個性的に着こなし
  寺山修二や丸尾末広を愛読し、一般人がしり込みするような
  ハイセンスな店に堂々と出入りするアイツらを指す。
 
 
  うーん・・・
  ネットを見回しても、「サブカル」と言った時に、この
  「オタク系」と「クソオシャレ系」が半々って感じで、
  しかも両者は水と油というか、仲が悪いっぽい。
 
   
「中野はサブカルの聖地」

   「サブカルの聖地」で検索すると、中野がダントツで多い。

  じゃあ中野ブローウェイに行ってみればいいんじゃね?
  それで判断しよう。
 
  中野ブロードウェイは、ひとことで言うとカオス。
  同人誌やコスプレグッズもあれば、ガロ系専門店やマニア向けの商品もあり、
  レトロゲームの筐体もあれば、幼児向けのおもちゃもある。
  ラインナップにポリシーが無い。いや、無いというポリシーなのか。
  
  萌えオタもサブカルクソ女も包み込むこの懐の深さ。
  これを指してサブカルと呼ぶって事でいいんじゃなかろうか。
  
 
オタク女とサブカル女の最大の違いは
   ところで以前、私は逆柱いみりが好きという一点で
  あんスタやってるクソオタクの娘に「サブカルクソ女」呼ばわり
  されたことがある。
 
  ためしに、オタク女とサブカルクソ女の最大の違いを聞いてみたら
  なかなか的確な答えが返ってきた。
 
 
    それはね、キャラが好きか、自分が好きかの違いだよ
 
 
  つまりクソオタクは、推しへの愛を示すために金をつぎ込んでいる。
  オタクが頑張れば頑張るほど、推しが輝くのだ。
  しかしサブカル女は自分が一番好きで、自分をいかに個性的で
  センス溢れる人間に見せるかを考えている。サブカル女が寺山が好きって
  言うのは、寺山が好きなんじゃなく、寺山が好きな自分が好きなだけ。
 
  なるほど。
  だからオタク女は外観がひどいんだ。推しにつぎ込んでるから。
 
  でもさ、推しってつきつめると自己愛みたいなもんでしょ?
  主婦で言ったらさ、自分のカースト上げに命かけてるオバさんと
  子供をエリートにすることに命かけてるオバさん。
  どっちも自己満足よね。
 
  
サブカルサブカル系?
   上記のような不毛な叩き合いをしてるうちに気付いた。
  もしかして「サブカル」と「サブカル系」って意味が違う?
 
  この3つ、検索結果がちょっと違う。
 
  「サブカルチャー」が指してるのはかなり幅広い文化で、
  映画や雑誌、音楽といった定着しきったものや、若者ファッションや
  SNSやソシャゲといった、メインカルチャーに属さないもの全般を
  指していて、漫画やアニメも当然含まれる。
 
  「サブカル」と言うと、漫画アニメゲームアイドルといった
  オタクコンテンツのイメージがやや強くなりつつ、下北系が増えてくる。
 
  「サブカル系」と言うと、オタク系が消え去り
  下北系のイメージが一気に強くなる。
 
   
サブカルはブレ続ける
   ネットを見ていてもうひとつ気付いたのが、
  この「サブカル」って言葉のブレを防ぐために
  「オタクサブカル」「サブカル男子」とかいった具合に、
  他の単語と組み合わせて意味を狭めて使う風潮がある。
 
  「ポップカルチャー」とか「オタクカルチャー」とか
  別な単語をもっと多用すれば解決しそうな気もするけど。
 
  いや・・・
 
  ここまで考えてきて思ったんだけど、
  全般であって、サブカルチャーを厳密に定義してしまうと、
  こんどはそこからあぶれたものが真のサブカルになってしまう。
  だからサブカルという言葉はブレ続けるしかないんだろう。