夢女子の定義が広がり続けている問題

私は夢属性が無いので、はたから見てて思うだけなんだが

近年、夢女子の定義が広がりすぎて殆ど意味が無いレベルまで

来ているような気がする。

 

夢女子=夢小説好き

昔は、夢女子といったら夢小説を好む女子だった気がする。

 

夢小説の定義は、ひとことで言えば「名前変換機能のある小説」だけど

主に、オリキャラヒロインを据えた二次創作小説だった。

我が家がネットに繋がった2000年当時、すでに夢サイトが複数あって

冷やかしで見て回った覚えがある。

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 名前変換機能のあるゲームならドラクエとか山ほどあるけど

二次創作小説になるとなぜオリキャラヒロインの夢小説が大半なのか、

私にはよく分からない。

 

そして夢小説、ドリーム小説という言葉が広まった時期と、

夢女子という言葉が広まった時期には意外と差があるように見える。

今検索してみると、「夢女子」という単語がYahoo!知恵袋に出てきたのは

2008年4月。(サービス開始が2004年)

「夢見乙女」で探しても2008年3月。・・・2008年に何かあったっけ??

ログ速のスレタイで探すと2011年2月。

「ドリーマー」だと埋もれすぎてて挫けた。

 

うーん、もっと遡れそうな気がするけど…

ということで探したけど、こんなブログがあった。

腐女子に対抗だ!夢女子と書いてムジョシはどうですか。(※Yahooブログのサービス終了でリンクが切れました)

 

この記事の中では夢女子を「ドリーマー」と呼んでいるから、

2006年12月時点で「ドリーマー」という用語は浸透していて

「夢女子」という用語は浸透してなかったと思われる。

 

どうやら「夢女子」って言葉が生まれたのは意外と遅くて

夢小説の成立の方がずっと早く、そして夢嗜好自体は無限に遡れる。

 

なんにしろ、当時の認識だと「夢女子」「ドリーマー」といったら

夢小説、ドリーム小説を好む女を指していたと思う。

そしてオリキャラヒロインのキャラ立ち具合への許容度は色々だったと思う。

 

 

SNS主流になり夢女子の定義が崩れる

2000年代前半は、まだ携帯小説や個人サイトが主流だったので

名前変換機能を導入した小説サイトを作りやすかった。

 

しかしtwitterやpixivが登場した00年代後半から

二次創作がSNSに移動し始める。

 

ここから「夢」の意味が崩れ、広がっていったような気がする。

 

ちょっと話がそれるけど、同人界隈にtwitterが与えた影響は地味に大きい。

それまでは二次創作ってのは本やサイトで見るもので、そこには

「書き手」と「読み手(買い専、ROM)」という二極構造があった。

それがtwitterになると、ちょっとしたネタや妄想、落書きやアイデアなど

作品未満のツイートも立派なコンテンツになり、これによって従来なら

カウンターを回す客でしかなかったROM層が可視化され、

大量に発信者に格上げされた。

別の見方をすれば、ss掲示板などで無名で活動していた職人が

コテハン化したとも言える。

  

twitterでの女オタクは、カップリングの嗜好を表明する必要がある。

カップリングによって厳密に住み分けられているからだ。

…私は二次創作しないのでこの感覚は分からないけど、そうらしい。

 

こうやって「夢」は、作品形態や嗜好からカップリング表記へと変化した。

また、その過程で「小説」「オリキャラのヒロイン」という条件が消えたり

「夢絵」「夢漫画」が大量に出てきたりもした。

 

それはもう単なるファンでは…?

私から見ると、もう「夢女子」って単なるファンというか、

単体萌えと同じなんじゃないかと思える。

男オタクにもこの「夢女子」というくくりが理解しにくいらしく

「萌えオタと何が違うのか?」とかいった疑問をよく見かける。

 

いや、極まった夢女子は今も昔も一定数いる。

twitterでも同単拒否とかガチ恋勢、過激派とかいった人たちから

腐でもNLでもないイケメンキャラ好きだから…と

消去法で夢女子を名乗ってる層まで色々いる。

この下層の夢女子はどのへんが夢女子なのか。

 

腐女子からの外圧が夢女子を生んでいる

 なんで消去法で夢女子と名乗るのかといえば、

恐らく腐女子に毛嫌いされているからだ。

 

腐女子はとにかくカップリングで考える。

とある男キャラが好きだ、という人がいれば「誰とくっつけるのか?」と聞き

女キャラを挙げれば「NLかよ」、特にいないと言えば「夢女子かよ」となる。

だから、叩かれる前に名乗っておこう、となる。

 

ただのファンとか単体萌えと夢女子は、私から見ればかなり違うけど

一部の腐女子から見ればほぼ同じなんだろう。

そしてそういう腐女子ほど声がでかい。

 

 

腐女子の増加

twitterを見ていると「夢腐女子」を名乗る人が年々増えている気がする。

どういう意味で使ってるのか詳しく見てみると、一番多いのは

「夢・腐どっちもいける」という意味で、例えばキャラAが好きで

Aとの恋愛妄想したりグッズを買い集めたりしつつ、Aの腐向けも好きという

単なる雑食である。

 

その他にも「ABの片方に自己投影している腐女子」や

「ABを見守るモブ女やお母さんポジ」で妄想する腐女子だったり

「男キャラのコスプレやなりきりで交流する腐女子」だったりする。

つまり腐女子特有の「自己投影してません」のスタンスを

何らかの形で捨てた腐女子が、夢腐女子って感じだ。

 

自己投影してませんの矛盾

多分、こういうタイプの腐女子は大昔から普通にいたはずで、

しかし「夢腐女子」という用語は、ここ数年じゃないかと思う。

「ドリ腐」って言い方もあった。 

 

腐女子は自己投影を非常に嫌う。

 

 

腐女子は”自分”の置き場所に非常にこだわる。

そして「ABの周りの空気になりたい」など、いかに自分が

客観的に眺めているだけかを熱弁する。

 

そして夢女子や夢腐女子を「キャラの私物化」とか言って嫌うのだ。

 

腐女子にとって私物化ってのはあくまでキャラと「自分」の妄想であって

BL改変自体は私物化ではないらしい。

 

twitterカップリングへのスタンスを表明せざるを得なくなった

ただの雑食腐女子が「自己投影してないと言えば嘘になる」と

胸に手を当てて正直に考えた結果「じゃあ私は夢腐女子だ」という

結論に至るのは、ごく自然な気がする。

 

というか、自己投影してませんってのが詭弁なのであって、

そこを認めた腐女子が夢腐女子、絶対に認めないのが腐女子

に私には見えるんだが…

 

夢おじさんという逃げ道

腐女子を見てて凄いと思うのは、モブおじさん目線でBLを見るという

萌えオタみたいな鑑賞法を編み出している所だ。

萌えオタ向けの二次創作やエロ漫画によくあるモブがなぜあんなに

キモいのか、女の私はよく分からないので男オタクが議論しているのを見てみたら、

「自分よりスペックが高い男だと気分が害される」という単純な理由が一番多かった。

腐女子の夢おじさんってのはそれとは違うように見える。

つまり萌えオタにとってのモブ男はあくまで他人であって自己投影先ではない。

あくまでモブ、AV男優に近いポジションだから、見下せる相手にしてある。

腐女子にとっての夢おじさんは自分の分身であり自己投影先だから、

キモいおじさんなのは謙遜なわけだ。

それは「周りの空気」から「空気吸う側」に自分を格上げするという

大それた(腐女子的には)行為への弁解に違いない。

 

一見すると、ちょっとだけ自己投影を受け入れた素直な腐女子に見えて

実は更に屈折してるというか、「AにもBにも自己投影してないったらしてない」

という頑ななまでの表明のように見えて仕方ない。

 

 

女はヒロインの描写にこだわる

それにしても、なんで女オタクはカップリングや自分の置き場所に

こんなにこだわるんだろう?

私は二次創作自体しないので、どうしても商業作品や一次創作の感覚で

考えてしまうんだけど、自己投影ってごく普通というか、基本じゃなかろうか。

ただメアリースーみたいなのは白けるってだけで。

 

二次創作を見回しても、男性向けはカップリングという概念が薄くて

単体萌えやモブ姦のような形が多い。

 

ただ、ひとつ思うのは、例えば商業作品のラブコメやエロ漫画を見ても

男性向け・女性向けの両方が女キャラをより多く描いている。

女にとって恋愛対象は男なのだから、ラブコメやエロ漫画は

イケメンの描写が中心になっても良さそうなものだが、やっぱり

ヒロインが中心に描かれるのだ。

 

BLの受けもある意味ヒロインであって、

ヒロインの描写に最も重点を置いてるのは間違いない。

 乙女ゲーでも、ヒロインの扱いで炎上してるのをよく見かける。

女性向け二次創作はカップリングというより、ヒロインの描き方、

もっと言えば自分の置き場所で分岐してるような気すらしてくる。

 

これがなぜなのかが私にはよく分からない。

というか逆に男性向けのギャルゲーや二次創作の主人公の存在の軽さに

驚くと言った方が正しいかもしれない。