BLの「攻め受け」とは何なのか

 「腐女子はなぜ腐女子になってしまうのか?」を考えていると

どうしてもこの疑問に行き当たる。

そもそも攻め受けって何なんだよと。

 

そういうわけでちょっと攻め受けについて考えてみる。

 

BLには必ず攻め受けがある

これは何度もこの日記に書いたけど、どうやらBLには必ず攻め受けが

設定されており、攻め受けのないBLはBLとして成立しないっぽい。

これはもう「攻め受けがBLの本質である」と言った方がいい。

もしかすると「BLとは男キャラを攻めと受けに振り分ける作業である」くらい

言ってもいいかもしれない。

 

 

百合は攻め受けを重視しない

それに対して百合には攻め受けがあったり無かったりで、

しかもそれをタグなどで明記する必要がないらしい、というのも前に書いた。

 

この点でBLと百合はどうも本質的に別のモノなんじゃないかと私は思う。

女同士の濃い友情は百合に含まれるか?という議論がたまに持ち上がるけど

百合オタの見解はバラバラで、「むしろそれこそが百合であってそこを超えたら

ただのレズになる」という意見もあれば「友情は友情であって百合じゃない」

という意見もあり、また「どっちともつかない混沌とした感情こそが百合だ」

という意見もある。つまり百合というのは女同士の密接な関係への”萌え”であって

その女同士の感情が具体的にどういうモノかは個人の好き好きらしい。

 

それに対してBLは、友情はあくまで友情であり、腐変換しなければBLにはならない。

そして腐変換とはまさに攻め受けに振り分けることなのだ。

 

 

一般作品とBL作品の壁

 ちょっと話がそれるけど

私が腐女子を見ていて独特だと思う点がここで、

腐女子はBL作品と一般作品をはっきりと区別している。

区別した上で、あえて一般作品で腐妄想するのだ。

 

例えばBANANA FISHとかユーリオンアイスとかおっさんずラブとかいった

公式が明らかに男同士の「愛」を描いてる作品ですら、

腐女子はわざわざ「BLか一般作品か」を議論する。

そしてたいがい、二次創作を好む腐女子ほど「BLではない」と結論する。

 

これは言い換えると、男同士の恋愛というだけでは実はBLではなく、

攻め受けに変換されてはじめてBLなり「腐」なのかもしれない。

・・・となると攻め受けって何なのか、私にはますます分からない。

 

そしてこの辺の習性も百合オタと腐女子では微妙に違うような気がしていて、

 公式を「百合か非百合か」で議論したり「百合じゃない」と言いたがる習性は

百合オタには無いように見える。いや、無い人が多いように見える。

  

考えてみれば腐女子が特殊なのであって、

NL派も公式がNL作品かどうかで議論なんてしないし、そういう概念がない。

その代わりカップリングが公式か非公式かで殴り合ったりはするけど。

  

この、腐女子が「公式がBLか非BLか」にやたらこだわる理由がよく分からない。 

そして前にも書いたけど、

腐女子は公式がBL作品だと、なぜか二次創作をほとんどやらない。

この点もNLや百合とは大きく違う。

 

 

攻め受け=タチネコ なのか?

ネット上で「攻め受けとは何なのか」を検索すると、たいがいこう言われている。

攻め受けは挿入する側・される側のことで、同性愛におけるタチネコと同じだと。

 

「ゲイにタチネコがあるのだからBLにもタチネコがあるのは当然だ」という理屈だ。

  

そして「百合にはなぜ攻め受けがないのか」についても「挿入するものがないから」

という説明をよく見る。

  

これには一瞬「なるほど」と思うんだけど、どうも納得いかない。

例えばエロシーンのない健全なBLでも、攻め受けは必ずある。

エロシーン無理、健全しか見ないという腐女子も一定数いるのに、彼女らも

脳内ではいったんエロシーンを想像して「コイツは挿入される側だな!」とか

やってるって事だろうか?

 

それにゲイ当事者が言うにはタチネコは相手によって変わったり

そもそも無いという人もいるらしい。

ゲイ漫画やケモホモ同人を見てみても、

腐女子のような「攻め受け」へのこだわりが感じられないし

細かいタグ表記もない。

 

となると攻め受けはタチネコというよりも「腐女子がタチネコだと思っている何か

でしかないんじゃ?と思えてくる。

考えてみれば「やおいはファンタジー」とさんざん言われてきたし

リアルな性同一性障害設定の商業BLに「これはBLじゃない」という議論が

起きてるのも前に見た。

 

  

攻め受け=疑似男女 なのか?

じゃあ、こうでは?

挿入するされるっていうよりも、恋愛における男役と女役が攻め受けだ、と。

これなら健全BLでも攻め受けが必ずあることは納得できる。

  

 それに腐向けの二次創作を見ていると、どうも一定のパターンが存在していて

例えば受けは赤面する、可愛がられる、女体化や妊娠出産するなどといった

女っぽい改変がされてることが多い。

そして攻めは乙女ゲーや少女漫画のイケメン枠とほぼ同じ扱いに見える。

 

つまりヒロインを男に置き換えたのがBLであって

BLはNLベースで作られてるんじゃないか?と、私にはそう見える。

 

となると、こんどは百合が特殊に思えてくる。

つまりNL、BL、百合と見回した時に、百合だけが男女に置き換えられない。

いや、置き換えられるものもあるけど、一方でどうやっても女同志でしかない、

男役・女役という概念が無さそうなものが一定数あるように見える。

仮に挿入できるものを与えてみても返却されるか、あるいは「2本くれ」と

言われるかもしれない、そういう百合が存在する。

 

つまり百合はNLベースで作られてるとは限らない。

そもそも百合には濃い友情も含まれてるわけだし、百合というのはもしかすると

NL、BLとかいったカップリングの分類とは根本的に違うのかもしれない。

 

 

カップリングより先に受けが生まれる

 考えてみればNLも「攻め受け」という意識がないだけで、男女は存在している。

もちろん女が強かったりハーレムなどのバリエーションはあるけれども、それも含め

男女の時点で攻め受けに相当する役割分担がある。

そう考えればBLだけが特殊なわけではないのか。

 

つまり恋愛関係な時点で攻め受けはもれなく発生するのであって

NLはもともと男女だから攻め受けを示す必要がない。

百合は百合で、恋愛関係とは限らないから攻め受けを示す必要が無い。

BLだけが、攻め受けを表記する必要性があった。…と。

 

いや。

そう考えるとやはり疑問が湧いてくる。

腐女子はキャラ単体でも攻め受け認定をする。…というのは前にも書いた。

「あのアニメ、受けは居るんだけど攻めがいないんだよね」とか言う。

そしてたいがい、受けが最初に見つかるっぽい。

 

ためしに腐女子の娘にも聞いてみる。

攻めしか居ない、受けが見当たらないってケースはありうるのか?

 

娘が言うには「まー無いんじゃない?知らんけど。」と。

攻めしか見付けられない女は夢女子であって腐女子にならないと。

 

腐女子にとって最初に生まれるのは攻めでもカップリングでもなく受けで、

また総受けや受け固定が多いことからも受けの重要性が伺える。

 

創世記では神は最初にアダムを作ってからイヴを作ってたけど

どうも腐女子は受けを作ってから攻めを探してくるように見える。

この2つの共通点は、最初に生み出す存在は自分に似ているということだ。 

 

 

「推しは受け」問題

どうも腐女子にとって受けは単なる”疑似女”というよりももっと重要な

萌えの核であるらしいと、ここまで書いてきて私は思っている。

 

そう思う理由はもうひとつあって、

腐女子のかなりが「推しは受け」らしいという事だ。

 

「推しは攻め」派も少数ながらいるが、こっちは夢思考が強いとよく言われる。 

これは外野の私でもなんとなく理解できる。

つまりイチオシのイケメンキャラと恋愛したい、

しかも女視点ではなく男キャラ(=受け)視点で恋愛したい。

それが「推しは攻め」腐女子なわけだ。

  

まぁそれは少数派らしくて、生粋の腐女子は基本的に推しが受けになるらしい。

 

これが「攻め受けイコール疑似男女仮説 」だと説明がつかない。

 つまり受けが単なる男ヒロインだとしたら腐女子にとって推しは

攻めであるべきで、最推しをなぜ受けにするのか?が分からない。

ただ、BLにおける受けの待遇はヒロインそのものだ。

 

BLとふたなりの類似点

ここでちょっと別の視点で考えてみようと思う。

私は前々から、BLとふたなりは似てるんじゃないかと思ってるんだけど

これネットで腐女子に言ったら猛反発を受けたので、どうも腐女子自身は

そう思ってないらしい。でもためしにそれを書いてみる。

 

ちょっと「腐カオス説」で書いた話をおさらいする。 

男オタクから見るとふたなりキャラは

萌え対象である女の子に自分と同じ男性器が付いている。

オナニーものが非常に多い事を考えても、ふたなり美少女は

男性の身体感覚を代弁する装置として優秀なんだろう。

もともと男性向けのエロは女の子の体を描きながらも、目的としては

男性器に訴えなきゃいけないというジレンマを抱えている。

これを最短距離で解決したのがふたなりだ、と私は思う。

 

…であらためてBLの受けを見てみると、ちょうど男女ひっくり返した感じで

萌え対象である男でありながら、恋愛における女役になっている。

 

なぜBLにはふたなりものが少ないのか?

よく「やおい穴があるからふたなりにする必要性がない」と言われる。

つまりBLの受けはそのままでふたなりに近いわけだ。

 

ただ、ひとつ決定的な違いがあることに気付いた。

ふたなりふたなり単体で描かれることが多いが、BLで受け単体は、まず無い。

 

さっきも書いたように腐女子は「攻めが見当たらない」と嘆いたり、

棒乞食してでもむりやり攻めを調達する。なぜ受け単体ではダメなのか。

 

これを娘に聞いてみると

「いや、触手の海に放り込めば受け単体でもどうにかなる」と。

ただ、それはBLなのか?となると微妙だ。

 

「なんでBLには必ず攻め受けがあるのか?」って話なんだから

攻め受けが無いふたなりと比較しても意味ないじゃん…とも思えるが、

もう少し考えてみる。

 

さっきも書いたようにふたなりはオナニーものが多く、性器描写に特化された

ジャンルだ。ふたなり民にとって最初に存在するのは、むしろ女の子ではなく

男性器じゃないかとすら思える。いかに男性器を満喫するかと考えたら

美少女にくっ付けて美少女にオナニー実況してもらうのが最善となるのは

なんとなく理解できる。

 

それを踏まえてBLの受けを見ると、もしかするとふたなりにおける男性器に

相当するのは受けの「女性性」であって、女オタクがいかに「女性性」を

満喫するかと考えたときのひとつの解としてBLがあるんじゃないかと

思えてきた。

つまり「女性器」ではなく「女性性」を男キャラにくっ付けて恋愛実況して

もらうのがBLなんだとすれば、攻めがどうしても必要になるわけだ。

 

なぜならオナニーは一人で出来るが恋愛はできない。

 

こう考えると「推しは受け」については納得できる。

つまり「男キャラに女性性を付加すること」がBLの核なんだとすれば

最推しが受けに回されるのは当然だ。

 

 

 

まだ結論は出ない… 

 こんなに長々と書いておいて、まだ一向にスッキリしないんだけど

とりあえず多少は納得できたような気がする。

 

まだ「なぜ腐女子は一般作品で二次創作したがるのか?」

「なぜ地雷持ちやNL、夢を毛嫌いする腐女子が多いのか?」

「なぜすぐ学級会を開いたりタグや住み分けのマナーにうるさいのか?」

とかいった疑問が解けない。

これについては腐投影説というのを前に考えたんだけど

かなり雑な考察なのでもうちょっと色々考えてみる。