オタクとサブカルをアイデンティティで分けてみる

 うちの娘が美大に行ってるんだけど、美大ってのは昔からサブカル系の人種が多く
オタクの娘はそれが苦痛らしい。
 
 オタク女とサブカル女の違いについて色々考えてて、もしかすると
社会的アイデンティティと個人的アイデンティティで説明できるのでは?
と思ったのでそれを書いてみる。
 
私が女なので、どうしても「オタク」「サブカル」をベースに考えてしまうので
かなり偏った話になっていると思う。
 
オタクとサブカルの対立

オタクとサブカルは長らく対立概念というか、相容れないと見なされてきたと思う。

 

2013年のtogetterに面白いまとめがあった。

togetter.com

このまとめ読んでて思うに、90年代から2013年にかけての「サブカル」と言われて

人が思い浮かべるものは主に3つある。

1.90年代サブカル誌(クイックジャパン、宝島…)のノリ。  

  そこでもてはやされた文化人とそれ系の作風。アングラ系。

2.若者のファッションスタイル。時代よって微妙に変化し続けるが、基本的に個性が

  強めで流行やモテに逆らう。下北系、古着、病みかわ系など。

3.もっとも広い意味でのサブカルチャー。対立概念としてのオタクとサブカルの両方を

  内包する。

 

・・・で、私が思うに1のサブカル誌はすでに絶滅してて、今の若い人は

ピンと来ないと思う。20代で知ってる人がいるのってねこぢる丸尾末広くらいでは…

とはいえ、「サブカル系」と言われた時に年寄りも若い人もだいたい近いものを

思い浮かべるのが凄いと思う。例えばくっきー!の芸風を、うちの20歳の娘も

サブカルっぽい」と言うし私もそう思う。

 

2020年時点の若者の頭の中にある「サブカル系」「サブカルっぽい」は恐らく

上の1と2を足してまぜたやつ。あるいはそれをほんのりでも感じるおしゃれな

イラストとか音楽などなどを漠然と「サブカル」と呼んでいて、これといった主義や

思想があるわけではない。・・・と推測している。

 

 

一方で「オタク」が意味するものは90年代と今ではかなり変わった。

とくに今の10~20代には「オタク=アニメやゲームに詳しい人」という誉め言葉だと

思ってるらしき人も一定数いる。もちろん今も中森明夫とだいたい同じ意味の蔑称で

使ってる人もいるし、3の意味のサブカル全般を愛する人という意味で使ってる人も

いる。オタク研究家も主観で語るし、もう「オタク」の定義をすり合わせるのは

不可能だと思う。

それは逆に言えば、「誰がオタクで誰はオタクじゃないか」「何がオタク趣味で

何はオタク趣味じゃないか」については多少ブレつつも世間がうっすら共有しており、

それをどう定義するかで意見が割れてる、という風にも見える。

つまり定義はできないけど「オタク的なもの」はあるっぽい。

 

上のまとめでもちょいちょい言及されるように、オタクとサブカルという2つの

価値観は対立するばかりではなく、混ざったり個々人の中で並存してきた面もある。

だから、日本中の作品や人を「オタク軍」と「サブカル軍」にまっぷたつに

分けられるようなものではないし、90年代当時もなかったはずだ。

そしてSNS時代の今は、作品が店や雑誌というのれんで分けられずに一緒くたに

並んでいる。

 

・・・とすると、2020年の今もなおオタク女、サブカル女という対立(?)が

残ってる(ように私には見える)のは逆にすごい気もしてくる。

 

サブカルクソ女

サブカルクソ女ということばは2012~13年頃にtwitterで話題になった。

そこで言われたのは青文字系のいけ好かないファッションに前髪ぱっつんで

一眼レフで写真撮ったり中原中也を携えてたりするめんどくさい女だ。

 

そのイメージが崩壊するのが2016年頃にポプテピピックでネタにされてからで、 

サブカルクソ女をまったく登場させずに攻撃対象に据えるという扱いのせいで

これ以降「サブカルクソ女」は架空の敵として現実社会と切り離されたように思う。

 

  

 サブカル女子・量産型ヲタク

それに対してここ数年は「サブカル女子」を蔑称ではなく

純粋なファッション用語としてポジティブに使ってる人が増えてきた気がする。

 

また「量産型」という言い方もインスタを中心に浸透している。

 

この2つは、ためしにそう自称している人のファッションを眺めても、正直どのへんが

サブカルだったり量産型なのかがよく分からない。ただどちらも蔑称ではない、

という事くらいしかおばちゃんには分からない。

分からないなりに推測で書くと、量産型ヲタクというのは、中身はバリバリオタクでも

外観からはオタク臭がせず、それでいて目立ちすぎず、オタク仲間と横につながるのに

最も適した没個性で可愛い系のファッションを指していると思われる。

 

それに対してサブカル女子からは、「おそろい」を徹底的に避けるような

わが道を行く意思を感じる。万人ウケしようという「媚び」が感じられない。

個性を目指しつつ「サブカル系」とくくれてしまうという矛盾と薄っぺらさ。

 

このへんは90年代から2013年頃までに使われた「サブカル」を受け継ぎつつも

かなり毒抜きされたように見える。

 

個人的アイデンティティと社会的アイデンティティ

 オタク系とサブカル系は、生態がかなり違うと思っている。ざっくり言うと、こう。

これってつまり、

オタクは社会的アイデンティティサブカルは個人的アイデンティティが優位に

なってる、と言えるかもしれない。

 

つまりオタクは「私はオタクである」「私は○○のファンである」

という自己カテゴリー化によって、「オタク」とか「○○ファン」という集団に

所属することで「私とは何か」を把握してるわけだ。

オタクは好きな作品に同一化するから、○○が売れれば自分の手柄のように誇らしく

感じ、「絶対売れると思ってた」「面白いからぜひ」と大喜びで宣伝する。

 

それに対してサブカルは「私」という人間を把握するために「○○が好き」「○○に

詳しい」を羅列するわけだ。だからサブカルにとって好きな作品は多ければ多いほど、

またマイナーであればあるほど、「私」を説明するのに役に立つ。

なぜなら、「猫が好き」「邦画が好き」「おしゃれが好き」などという母数の多い

属性をいくら並べても「私」が他の誰でもない私である説明にならない。

「高校生だけど平沢進が好き」と言えば一発で「私」が際立つわけだ。

つまりサブカル系は個人的アイデンティティを拠り所にしている。

 

これは言い換えるとオタクは没個性・様式化を目指し、サブカルは拒否す

ってことでもある。

 

エヴァが出てきた時にサブカル的なもてはやされ方をした、という話が上の

まとめでも言われてるけど、これは確かにそうだったと思う。

 

よく非オタは「萌えアニメの絵が、全部同じ人が描いたのかと思うくらい似ている」

と言う。pixivのランキングを見ても絵柄が似すぎて異様だと。

たまに一部の天才によって、かなり斬新な作品が生み出されると、オタクカルチャーと

いう枠が壊れ、広い意味でのサブカルチャーにおける革命としてもてはやされる。

あるいはサブカル野郎から厳しい吟味を受ける。

それがかつてのエヴァだったりAKIRAだったりしたって事なのかもしれない。

 

その一方で「サブカル系」には別のイメージもあって、エンタメ性が低く、

無駄に文学的だったり哲学的なノリで雰囲気に酔ってるだけのつまらん漫画や音楽…

をさして「サブカル系」と言ってるように感じることもある。うちの娘もそう。

これは晩年のガロなど勢いを失くしたサブカルの末路というか、形骸化したサブカル

というか、サブカルのダメなとこの寄せ集めみたいな感じだと思うんだけど

意外と若者にとっての「サブカル」のイメージはその辺のような気もする。

 

・・・と、私の主観でみると、そんな感じがする。

 

 

オタクは信者、サブカルは神

前にちょっとだけ、オタク女とサブカル女の違いについて書いた。 

サブカルとは何なのか

 

その一部をもっかいコピペしてみる。

ためしに、オタク女とサブカルクソ女の最大の違いを聞いてみたら
なかなか的確な答えが返ってきた。
 
    それはね、キャラが好きか、自分が好きかの違いだよ
 
つまりクソオタクは、推しへの愛を示すために金をつぎ込んでいる。
オタクが頑張れば頑張るほど、推しが輝くのだ。
しかしサブカル女は自分が一番好きで、自分をいかに個性的で
センス溢れる人間に見せるかを考えている。サブカル女が寺山が好きって
言うのは、寺山が好きなんじゃなく、寺山が好きな自分が好きなだけ。

当時は単純に「自分大好き女がサブカルに走る」と考えてたど

アイデンティティの構築方法に両者の溝があると考えると、ちょっと納得できる。

オタクは自己を同一化した対象をより高く評価することで自分のアイデンティティ

維持してるのだから、これがエスカレートすれば当然、推しを神の域まで高めようと

することになる。たまに二次元のポスターに複数のオタクがひれ伏してる気持ち悪い

写真がSNSに流れてるけど、オタクは自虐と見せかけてこの上ない満足感を得ている

はずだ。

 

それに比べるとサブカル系の人々の「好きな作品」への態度はやや冷めている。

作品論を語って自分の中の体系に組み込むことで、あるいは本棚に並べて

自分の博識ぶりの足しにすることで満足感を得ているように見えたりもする。

サブカル女なら「個性的な私」を演出するためのアクセサリーでしかないような。

考えてみると90年代サブカル誌も、ホームレスや精神障害者、風俗やAV、汚物や

特殊性癖といったきわどい題材を面白おかしくいじっては社会に鋭いメスを入れた

気分になるっていう、社会派を気取ったただの悪趣味みたいなノリがあった。

それは「ガチの人」を横から見て面白がったり悟ったりする第三者の視点であって、

結果的に皮肉にも「サブカル系」というかなり煮詰まった世界が出来上がったわけだ。

 

そう考えると、オタクとサブカルは作品への態度が真逆で、

オタクは信者となって理想化した作品やキャラを崇め奉り、ジャンルにいかに自分が

貢献するかという自己救済のために必死にオタ活していると言える。

一方でサブカルはより多くの知識を得ることで自分の存在を高め、好きな作品を

増やすことで自分の世界を作ろうとしているという点で神に近い、とも言えそうだ。

 

まぁ「オタク」の定義次第でこういう推測はかんたんに崩れ去るんだけど。

あと私はこれで言うと完全にサブカル女に属している。恥ずかしい。