女オタクが言う「自己投影」とは何なのか

日頃から疑問に思ってる事を書いてみる。

 

 

「自己投影なんかしてない」

腐女子はすぐこれを言う。「受けに自己投影なんかしてない」。

ちょっとtwitterで検索してみよう。

 

腐女子が受けに自己投影してるって言うけど腐女子から見たらそれ夢女子だから」

腐女子は受けになりたいんじゃなくて周りの空気になりたいだけ」

「敢えて言うなら壁に自己投影してる」

 

…って感じの意見がいっぱい出てくる。

見てると、どうやら腐女子内では、自己投影しても許される順に

壁・空気 >> モブ > 攻め >>>> 受け

という序列があるらしいと分かる。

それと同時に「受けが女みたいになってるのは自己投影の証拠」

「自己投影しまくった腐向け二次創作が気持ち悪い」とかいった攻撃も多い。

 

 

 

 

その「自己投影」って何のこと?

 「してないアピール」の理由を考える前に

そもそも彼女らの言ってる自己投影が何なのかを考える必要がある。

 

なぜなら本来の自己投影(精神分析用語の投影、投射)とは

どうも違うっぽいのだ。

 

ネットで調べても、どうも人によって解釈が違うように見える。

ただの感情移入や共感を指していることもあれば、

ほぼ「なりきり」みたいな意味で使われていることもある。

 

「自己投影は同一化(同一視)という意味でも使われる」とも

書いてある。…じゃあ同一化なのか?

確かにこれは多少しっくりくる。

なのでとりあえず「同一化のことを言ってる」と仮定して話をすすめてみる。

 

 

同一化は誰でもやっている

同一化というのは防衛機制のひとつで、これはうんと小さい頃から誰もが

多かれ少なかれやっている心の働きだ。

  

例えば私は子供の頃に完全にドラえもんに同一化していて、

漫画やドラえもん百科を暗記するほど読み、家族からドラえもん博士と呼ばれて

すっかり悦に入っていた。そしてドラミちゃんを幼いころは心底憎んでいて

単行本のドラミちゃんの顔にひたすら爪でバツ印を付けたりしていた。

それも小2で憑きものが落ちたようにおさまった。今では何故あんなに

ドラミちゃんを憎んでたのか不思議だが、多分ドラえもんの上位互換と感じて

嫉妬してたんだろう。今もドラえもんは好きだけど、同一化しているかどうかは

分からない。してないと思ってるけど、自分では判断できない。

同一視は防衛機制だから、自覚がないことも多いのだ。

 

他にも好きなタレントの生活スタイルや持ち物をマネするとか

地元の球団の勝敗に一喜一憂するとか、誰もが小さい同一化を山ほどやっている。

 

 とは言えオタクが同一化をこじらせると問題も大きくて

アニメキャラの人気投票に子供が引く勢いで投票しまくるとか、

推しにとって邪魔なキャラのアンチ活動をするようになる。

 

… …

うーん、でもこれ、ちょっと違うよね?

なんかこう… 女オタクが言ってる「自己投影」と似ているようで、

微妙に違う気がする。

 

 

オタクが自己投影を批判する時

ネットを見てて思うんだけど、どうもオタクは自己投影(と呼ぶ何か)を

すごく醜い、悪いことだと思ってるように感じる。

  

例えばハーレム設定の漫画やゲーム、主人公がチートすぎるラノベに対して

「オタクが自己投影するための作品」とか「作者の自己投影がキツい」という

批判がよく起きる。

 

でも例えばドラクエなんて勇者になって世界を救うっていう王道展開で、

場合によっては嫁候補もいて、しかも名前入力機能まである。

ヒーローに同一化していい気分を味わうお膳立てが出来上がってるんだけど

自己投影とは叩かれない。

 

…つまりこうか。

同一化が叩かれるんではなく、同一化によるご都合、不自然な優遇が叩かれるのだ。

例えばメアリー・スーって言葉にしても、あるいは

漫画のキャラなどが「作者の自己投影がひどい」と言われるケースもだいたいは

変に優遇されたり、ご都合が過ぎて読者が不満を抱いた時に言われる。

 そしてそういうえこひいきや不自然さを感じる作品をオタクは

「自己投影がひどい」と言うのだ。

 

…とすると、単にオタクから見て同一化が透けて見えて、なおかつ

特定のキャラが優遇されて興ざめした時に「自己投影」という言葉を使って

批判してるだけなのかもしれない。

そして本当に作者がキャラに同一化してるかどうかは、外野の主観でしかない。

 

とりあえずそう仮定してみる。

 

 

 

女オタクはヒロイン視点を自己投影と呼ぶ

女オタク周辺の「自己投影してるしてない議論」を見てると、

どうも男オタクとはまた論点が違うような気がしてくる。

 

例えば冒頭で書いた「敢えて言うなら壁に自己投影してる」ってのは

けして「壁を不自然なほど優遇している」とか「壁の活躍が見たい」

とかいった意味ではない。

 

例えば夢女子には「自己投影型」と「第三者型」がいて、自分はどっちであると

申告していたりする。これは夢主を私の分身であると考えるか、別の人格を持った

オリキャラであると考えるか、みたいな事らしい。 

同様にNL派の女の間にも「女キャラ視点」と「第三者視点」があるようだ。

 

ただ腐女子の場合は2派に分かれるというよりは、「受けに自己投影したら

それはもう夢女子であって腐女子ではない」、あるいは「夢腐女子という

別の嗜好になる」という主張が多い。

 

つまり女オタクにとっての自己投影は「誰の目線で物語を見ているか」という

視点のことらしく、その視点が受け(あるいはヒロイン)に置かれた時に

自己投影という烙印が押されるようだ。

 

女オタクの「視点」に注意しながら議論を見てると、

視点のバリエーションは大きく分けて

男(攻め)、女(受け)、壁(モブ、神)の3点しかないと分かる。

 

これは一般人が言う「感情移入」とは明らかに違っている。

例えばドラゴンボール見ててついついヤムチャに感情移入し

ヤムチャ目線で色々と見てしまう…みたいなことは、いくらでもある。

一般的な感情移入は登場人物の数だけ存在しうるし、自由に移動できる。

 

しかし腐女子や夢女子が自己投影について熱く語る時には、

基本的に攻め・受け・壁の3点しか話題に上がらない。

これは恐らく、彼女らの視点は恋愛の構図上の問題だからだ。

 

前に私は「女性向けの同人ジャンルはヒロインの置き方で分かれてる」と

書いたけど、ほんとに女オタクにとって「ヒロインをどう捉えるか」ってのが

ものすごく重要なんだなと思う。

 

…実は私のようなどっちかと言うとサブカルクソ女に近い(と娘が言う)オタクは

これが非常に不思議なのだ。

そもそも、感覚として理解できてないという自覚がある。

いや、理屈としては分かる。少なくとも「感情移入」と「同一化」は

実感として理解できるが、この「視点」という感覚は持ってないかもしれない。

あるいはそれこそが「壁視点」なのかもしれない。壁って自覚もないけど。

とにかく女オタクの「視点」議論がなぜあんなに白熱するのかが分からないのだ。

 

 

つまり「自己投影」は大きく分けて3つある

今までの長ったらしい話を要約すると、つまりオタクが言ってる「自己投影」は

主に3種類ある、と私は考えた。

 

A.共感、感情移入、同一化と似た意味の「自己投影」。多くの人がやっている。

B.同一化した特定のキャラを不自然に優遇するメアリー・スー的な「自己投影」。

C.受け(orヒロイン)に視点が置かれるという意味の「自己投影」。

 

BとCは叩かれやすく、おおかた悪い意味で使われる。

そして反論の時に引っ張り出されるのがAだ。

これのせいでオタクの「自己投影議論」がどうも噛み合ってないように見える。

 

私から見ればBとCもそんなに叩かれるほど悪いことか?と思う。 

いや、そもそも二次創作って必ずB要素入ってくるよね?多少は。

 

 

…本来は「なぜ腐女子は自己投影してないアピールするのか?」について

書くつもりだったけど前置きだけで長くなったので一旦やめることにする。