蛙化現象と女オタクの類似点

最近よく聞く「蛙化現象」だけど

なんだか私が気になっている女オタクの習性と共通するものを感じるので

ちょっと蛙化現象について考えてみることにした。

 

彼氏に好意を向けられた瞬間に発動する

蛙化現象とは何か?について一応書いとくと

主に恋愛経験のない若い女性に起きる現象で、好きな人と両思いになったり

相手からの好意を感じた瞬間になぜか激しい嫌悪感に襲われ

マトモに付き合えなくなる。らしい。

人々の経験談を見ていると、だいたいはそのまま別れてしまうようだけど

何人目かで突然、なぜだかは分からんままに克服するらしい。

 

最近この蛙化現象の定義がどんどん広がって意味不明になってきてるらしい。

来年あたりにはもしかすると「冷めました。復縁はありません」を

やんわり且つ簡潔に宣告するためのワードになってるかもしれないが、

ここでは狭義の蛙化現象だけを考えることにする。とりあえず

・ただの冷め、倦怠期、もともと好きじゃなかったとかではない。

・彼氏が好意を示した瞬間に起きるものであって、彼氏側の問題ではない。

という点は必須のようだ。

 

 

女オタクの”右視点蔑視”

蛙化現象で一番不思議なのは

なんで相手からの好意を感じた瞬間なのか?という点。

 

しつこいけど「好きじゃなかったから」ではない。

ずっと憧れてアプローチしていた相手だというのに

念願叶って付き合えた瞬間になぜか生理的に無理になるのだ。

 

検索してると「蛙化現象で悩んでる人は推し活すればいいよ」という話も出てくる。

曰く、推しは自分に好意を向けてくることが絶対にないから、

蛙化現象にならなくて済むよと。

 

あーなるほど・・・

いいのか?それ。

 

 

しかし、突然私は気付いた。

 

つまり蛙化現象を女オタク的に説明すれば

「推しをモブ視点で応援していたのに、突然推しが自分に好意を向けてきて

強制的に夢視点に切り替わった」ような状態なのか…!

つまり「自己投影してません」スタンスでゲームしてたのに突然

夢女子の妄想みたいな展開になって気持ち悪くなってると。

 

ここで私の持論をもっかい説明すると、

どうもオタク界隈では自己投影を忌み嫌う風習がある。

とりわけ女オタクが「自己投影」ということばを使う時、

それはカップリングの右側(ヒロイン、受け、夢主…)の視点で鑑賞することを

意味する。 →女オタクが言う「自己投影」とは何なのか

そしてこの「右視点」という意味での自己投影をはしたない、浅ましい行為として

蔑む女オタクがわりといる…

 

で、なんでそんなに右視点に立つのがイヤなのかは、未だによく分からないけど

まぁ二次創作のコミュニティの中ではキャラクターはみんなのものだから

私物化すんなよという同調圧力として自己投影蔑視の風潮があるのかもしれない…

とか考えてみたけど。

もし蛙化で悩む女子(非オタ)にも似た習性があるのなら、そうじゃなく

もっと普遍的な問題なのかもしれない。

 

 

突如湧き上がる激しい嫌悪

もうひとつ、女オタクの言動と微妙に似てる気がするのが

この生理的に無理、見るだけで激しい嫌悪感っていう極端な反応。

 

これなんか地雷に似てる気がするんだな…。

 

これについて腐女子の娘が言うには

 

あのねお母さん

腐女子にとっての地雷ってほぼほぼ敵対CPだからね。

前にも言ったけどカップリングって宗教だから。

蛙化は好きだった彼氏が突然なるやつでしょ?ひっくり返るやつでしょ?

地雷CPって腐女子にとっては邪教であって一度も好きになってないからね?

 

と。

まぁ確かにそう。

 

考えてみると蛙化現象の一番ワケ分からんのはここで、地雷とは違って

彼氏は何も悪くないのだ。やったのは「告白した」とか「手を握った」とか、

「好きオーラ出してきた」とか、普通やるだろって事だけ。

 

まぁ地雷だって、あっちはただ普通に二次創作してるだけであって

地雷持ち以外には何の害もないけどね?

 

私が共通してると思うのはここで、激しい嫌悪感に襲われてる本人の方に

恐らく根本的な理由があって、「敵対CP二次創作」や「彼氏の好意」は

引き金でしかないのだ。多分。それでいてじゃあ根本的な理由って何?となると

本人は全く分からないし、言語化もできない。



「自己肯定感が低いから」「恋愛経験が少なかったから」

なぜ蛙化現象になってしまうのか?について経験者が言うには

自己肯定感が低すぎて「私なんかのどこがいいのか」「悪趣味だな」などと考え

急速に冷めるのだと…

他にも「恋愛経験がなくて怖かった」「恋愛や男性を理想化しすぎている」

とかいった説もある。

 

どれも一理あるような気はするんだけど、

じゃあなんで自分が蛙化しないの?という疑問が湧いてくる。

そんなに自己肯定感低いなら。

あと「理想化しすぎてて彼氏に幻滅した」って説については、

それは蛙化現象とは呼ばない気がする。

 

 

投影同一化では…

それで私は思うんだけど、蛙化現象って多分

「生理的に無理」なのは彼氏じゃなく自分自身の一部分で、

でも自分が「蛙」だと思うと耐えきれないから彼氏にそれを丸投げすることで

自分は苦痛から解放されるという防衛システムなのでは。

 

いったん蛙化した彼氏が元に戻ることはほぼ無いらしいので

彼氏は使い捨てなんだろう。

 

女子の側で蛙化現象が起きてしまうと、突然そっけなくなったり距離を置くから

彼氏も前に進めなくなる。そして「生理的に無理」というメッセージを

やんわり受け取り、落胆したり自分の何がまずかったのかと後悔する。

女子本人には自覚が無いと思うけど、こうやって女子は彼氏の心に自分と同じ

自信喪失や罪悪感まで負わせるのだ。

 

いや、私の推測だけど。

 

見てると蛙化現象を繰り返しては何人もの男を犠牲にしてる女子もいるけど、

なんだかんだ若いうちに自然と治って普通に恋愛できるようになるところを見ると

恐らくこの蛙化現象という状況を数回やることで、女子の中の分裂の問題は

自然と解消していくんだろう。それは多分、

彼氏に蛙になってもらって一緒に罪悪感に苦しむことによって

直視できなかった自分の中の「蛙」も自分に統合されていくのだ。

いや多分だけど。

 


やっぱりちょっと違うかも

ここまで考えると蛙化現象と女オタクの”右視点蔑視”や激しい拒否反応って

似てる面もあるけどやっぱり違う面が大きいのかもしれない。

なんせ女オタクは恋愛経験があっても、30代40代になってもそのままだ。

女オタクの地雷議論や自己投影してませんアピールは何度繰り返したところで

自然と解決するわけではなさそう。

ただ、まるまるの自分で恋愛に向き合うことが一部の女性にとっては

すごく苦痛を伴うってことだけはなんとなく分かる気がしてきた。

 

少女漫画から腐女子になる過程を考えてみる

よく腐女子批判している男オタクが

腐女子は自分がモテないから女キャラに嫉妬して排除しようとする。

 それで男しかいない世界じゃないと安心できないからBLに走るんだ」

と言ってるのを見かける。

 

確かにヒロイン叩きの多さを見てると、この意見もちょっと分かる。

ただ私が今までに出会った腐女子を思い返してみると、この「自分がモテないから

女キャラに嫉妬して腐女子になる」って説はあんまり当てはまらないような

気がするのだ。原因と結果が逆というか。

 

それで、主にうちの娘(21歳腐女子)の子供時代を思い返しつつ

腐女子腐女子になる過程をよくよく考えてみようと思う。

 

 

 

三大少女漫画誌という分かれ道

 00年代当時はまだ「三大少女漫画誌」という概念がギリ存在していた。

この「りぼん、ちゃお、なかよし」という3誌は、男子にとっての

「ジャンプ、サンデー、マガジン」とは根本的に違った意味を持っていると思う。

つまり女オタクの最初の分かれ道なのだ。

 

娘が生まれたのが1999年。

80年代ならいざ知らず、うちの娘ですら「なかよし派とりぼん派は趣味が合わない」

と言うのだ。そして「花とゆめ・LaLaに行ったらオタク確定」と。

  

私の独断でこの「分かれ道」を図にすると、こうだ。

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 この緑が私で、ピンクが娘だ。

もうちょっと詳しく書くと私はりぼん→ぶ~け→ジャンプ→アフタヌーン

娘はなかよし→ジャンプ→Gファンタジー系→二次創作へ、と移動した。

 

  娘が言うには、なかよしはオタク度が高くそのまま腐女子になる読者が多いと。

うちの娘にとってなかよしは、心の奥では少女漫画に根本的に向いてない女が

それを自覚するまでの仮の場所であって、もっと向いてるジャンルに行くための

中継地点のようなものらしい。

うちの娘にとっては。

 

私が中高生の頃のなかよしは、そこまでオタク寄りじゃなかった気がするけど

LaLaや花とゆめがオタク寄りなのは変わらないらしい。

20年前、私の周囲の腐女子

花とゆめに流れたらだいたいがヤオラーか同人女になる」と言っていた。

 

ちなみにちゃおは最もコロコロやジャンプと親和性が高く、純粋にエンタメとして

漫画を読んでいる健全な漫画愛好者のための読み物である、と娘は考えているらしい。

 

オタクに目覚めるタイミングはかなり早い

つまり、腐女子は腐趣味より先にオタクに目覚めるわけだ。

私の印象だと、小学校の中学年くらいですでにオタクと非オタは分化が始まる。

そして腐女子が出現してくるのがだいたい高学年から中学校あたりだ。

 

 そこから推測するに、オタクかどうかは生まれつきだと思う。

オタク傾向は中学年あたりから出てくるから、小さい頃は近所だとか

同じ幼稚園だったとかでつるんでた子供たちが、趣味で繋がるようになる。

で、腐女子とか夢女子とかいったカップリングでの分岐をし始めるのは

第二次性徴以後、思春期だ。その前から腐女子だったという人はまだ見たことがない。

 

図にするとこう。

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そして腐女子や夢女子になる女ってのは9割がたオタクなのであって、

オタク気質に性的な何かが影響すると腐とか夢とかいった分岐が起きるんじゃないか

と私は推測している。

 

(オタク=アニメやゲーム好きくらいの意味で使ってます)

 

 

女オタクは妄想との距離が近い

ところでnoteやブログの女オタクの自己紹介や思い出話を読んでると

「私は空想癖のある子だった」「好きな漫画やゲームで何時間も妄想した」

「授業中や一人の時もずっとアニメの世界に行っていた」という回想が多い。

 

ここから二次創作を知ってハマり、腐・夢・男女CPと分岐していくわけだ。

そう考えるとなかよしや花とゆめがオタクに好まれやすいというのは多分

ファンタジー色が強く空想しやすいせいだろうと思う。

 

こういう空想は幼児が一番得意で、アンパンマンや戦隊、プリキュアになりきったり

まるでキャラクターが見えてるかのように会話しながら遊んでいる事もよくある。

私もウルトラの母になりきって家中の人形をヒーリングした覚えがある。

 

これに対してりぼん系の少女漫画ってのはキャラも舞台も現実に近くて

空想してもあまり面白みがない。

子供もサザエさんちびまる子ちゃんではなりきり遊びをしないけど

考えてみたら現実の子供の生活に最も近い設定だ。

そう言えばうちの娘も小さい頃に「イクラちゃん嫌い」「まる子嫌い」

「(しまじろうの)はなちゃん嫌い」とよく言った。

なんかこう現実に刺さってくるものがあるんだろうと思う。

 

この「現実に刺さってくる感じ」がより減るのがファンタジーであって、

それが腐向け二次創作とか夢小説となるとさらに減るに違いない。

なんせヒロインにイライラするという少女漫画最大の問題が解消されているから。

  

非オタは漫画を読んで「こんな恋愛がしたい」「このヒロインみたいになりたい」

あるいは「○○君みたいな人と付き合いたい」と思う。

しかし女オタクは「この世界に住みたい」「この世界のヒロインになりたい」

「○○君と付き合いたい」と思う。この差。

  

子供はナチュラルに二次創作をする

前にもちょっと書いたけど、オタク趣味は幼児との共通点が多い。

オタクがキモいと言われる理由は幼児との共通点が多いから

 

考えてみると二次創作も小学生がよくやっていて、自分で考えたオリポケだの

オリキュアが活躍する漫画をノートに描いたり、好きな漫画を模写したり

そっくりのオリキャラ作ってストーリー考えた人は多いと思う。

うちの娘も小3の頃、よくポケモンがわいわいしてるだけの漫画を描いていた。

 

大学の美術教育学でこういう話を聞いた。

幼児は、幼児画という独特の手法で絵を描く。それは写実的な「絵」というよりは

頭の中を図式化した「説明」に近い。それが中学年くらいになると幼児画を卒業し、

しかし写実的に描く力もない谷間に入る。この時期の子供はひたすら模写をする。

つまり既存の絵柄やキャラをマネながら自分の世界に取り込もうとするわけだ。

うちの娘がポケモン漫画を描いてた時期はまさにここに該当する。

 

うちの娘は、オリジナル漫画が描けないらしい。

考えてみると娘の同人活動って小3で描いてたポケモン漫画から始まっている。

ただ内容が腐向けになったけど。

 

何が言いたいかというと、二次創作って実は子供にとっては創作の基本形であって

オリジナルの方がその後のステージになるってことだ。

だから「なんでわざわざ二次創作するの?」というのは愚問なのだ。

しかもネットでは二次創作の方が閲覧も稼げるからメリットも大きい。

 

・・・なんか二次創作してる人を敵に回すようなこと書いてる気がするが

趣味って童心に帰ってやるものだと思うので基本的に間違ってはいないと思う。

(法的なことは置いといて。)

ただ、童心に帰ってまで恋愛妄想するというのが独特だと思う。

 

「壁」を超えられるヒロインを求めて

 ところで子供向けのアニメを見てると気付くことがあって、

女の子キャラが大きく2パターン出てくる。

 

しまじろうには正統ヒロイン系のみみりんとボーイッシュなにゃっきい

(旧らむりん)が出てくるし、

ハム太郎にも同様にリボンちゃんとじゃじゃハムちゃんがいる。

 

プリキュアも主人公はピンク固定で元気ヒロイン、脇がボーイッシュやクール系に

なっている。

 

私や娘の子供時代を思い返してみても、こういうバリエーションは

非常に理に適っていて、女児の大半は第一選択肢としてピンクキャラを好むが

だんだん成長とともにこのヒロイン然としたピンク女子に物足りなさとか自主性のなさ

あるいはダサさ、子供っぽさを感じ別のキャラにスライドしていく。

他にもマフラーちゃんやバタ子さん、たまちゃん的なお母さん味の強いキャラ、

セーラーヴィーナスやおんぷちゃんのような高スペックキャラもいる。

つまり女児の発達段階や好みごとに受け皿が用意されてるわけだ。

 

何が言いたいかというと、女子はかなり初期からヒロイン像を追って放浪してるのだ。

しかし三大少女漫画誌のあたりで決定的な壁にぶち当たる層が一定数出てくる。

どのヒロインにも共感できない、ヒロインがいる時点で空想を阻害される、

と感じるタイプが夢や腐に流れるんじゃなかろうか。

 

私が少女漫画を卒業したのも、結局は恋愛ものが多いしヒロインに共感できない

という理由で、青年誌などのバトルやデスゲームの方が話が面白かった。

ただ私の場合は恋愛もの自体に飽きたから、青年誌から恋愛妄想はしない。

 

腐女子や夢女子は、恋愛ものを卒業してもなおジャンプなどを題材にして

恋愛妄想を続けてる人々なので、やはり恋愛への関心は高いんだろう。

 

 そして二次創作する女オタクがぶち当たるヒロインの壁というのは

嫉妬とか嫌悪というよりは、空想に浸りがちで「自分」の置き場所を

ただの読者ではなく作品世界に持ち込まざるを得ない性質から来てるのでは。

だからこそ「壁視点」なんて不思議な表現が生まれるんじゃなかろうか。

 

 

 

・・・なんか全体的に10年以上前の古い話になってしまった。

今は少女漫画はかなり衰退して、ゲームアプリやウェブコミックSNSから

オタクや二次創作に触れる人が多くなっているから、腐女子の入り口も現代では

いたるところにあるだろう。

 

あと「商業BL好きはどこに含まれるんだろう」とずっと考えてたけど、

正直よく分からない。

最近だとタイドラマからBLにハマったという人が多いけど、

見てると私が感じてるような腐女子特有の生態を持ってない。

いつか腐女子とか夢女子とかいった概念自体が崩壊していくかもしれない。

 

腐女子が言う「関係性」とは何か

腐女子がよく使う単語のひとつに「関係性」がある。

この「関係性」が、分かるようで分からない。

 

人々が何の関係性の話をしてるのか、「関係性」で検索してツイートを見てみたら

その日はテレビでVS嵐やってたせいで「ニノと吉高さんの関係性が好き」

という話題がむちゃくちゃ多かった。全体の3割くらい。

男性アイドルグループ内の「関係性」の話題も多かった。気遣いとか和やかとか。

腐関連の「関係性」の話も多くて、ためしに数えたら100ツイート中18あった。

やはりtwitter腐女子率が高い。

 

つくづく思うんだけど、腐女子は関係性についてものすごく語る

長文で語る。関係性こそが腐女子の栄養源なんだなと思う。

ただ、一般的な「関係性」とは微妙に違うような気がするので

それをちょっと書いてみる。

 

公式の関係性を尊重するほどエラい

少し前に「顔カプ」が話題になってたので、人々の顔カプ叩きのツイートを

しばらく眺めてみた。

なんで顔カプがそんなに嫌われるかというと、けして「顔重視だから」ではなく

「公式で接点が無いから」らしい。公式の関係性を尊重してないからダメなのだ。

 

ツイート見てて思うに、二次創作界隈では関係性を尊重した二次創作ほどエラい、

美しい、キャラ愛に満ちているという認識があるっぽい。

 

それゆえエアプ、原作未読、二次創作から入る行為は「公式の関係性を知りも

しないくせにこのCPの何が分かるの?」という理由でむっちゃ叩かれる。

 

もちろん叩かれる側、つまり公式の関係性なんか知らずとも二次創作見てハマる

ライトな腐女子も大量にいるからこそ、こういう批判が起きるわけだけど。

いや、マウント取るときに関係性を引っぱり出しがちと言った方がいいのか。

 

 

ただしその「関係性」はもれなく腐変換される

私がよく分からないのは、ここまで関係性にこだわるのに、なぜかその関係性

つまりライバルとか子弟とか、あるいは幼なじみが運命によって引き裂かれ殺し合う

とかいった設定を、腐女子はみんな恋愛関係に変換してしまうことだ。

 

これはよくマヨラーに例えて叩かれてるのを見る。

素材のうまさをさんざん褒めたたえたと思いきや全部マヨネーズかけて食う

と外野からは見えるのだ。

 

「公式の関係性を重視するほどエラい」というだけなら、男女CPでもよく見る。

例えば公式CP・非公式CPとかいった言葉で区別して非公式CPを叩いたりする。

まぁ私から見れば二次創作の時点で公式もクソもない、優劣なんて無いと思うけど、

公式の恋愛関係をそのまま延長してあれこれ想像したりその後を見てみたいと思うのは

感覚的には分かりやすい。

あるいは好きなキャラと自分が恋愛するとか、アニメの世界に自分が行って活躍する

とかいった妄想も子供時代にした人は多いと思う。

腐界隈の「関係性」は、そういう単純なものとはちょっと違う。

 

腐女子はBL作品で二次創作しない

このブログで何度も書いた話だけど、腐女子は元からBLの作品では腐向け二次創作を

しない。あってもファンアート的なものにとどまる。

それに対して男女CPや百合は、公式CPの二次創作が多い。

 

これがなぜなのか未だによく分からないけど、とりあえずの推測としては

腐女子にとって二次BLは一般作品という薪を燃やして出来る灰のようなものであり

BLを燃料にBLを生み出すことはできないのではないか」

と思っている。

 

この薪ってのがまさに「関係性」なんだろう。

関係性はBLに昇華される可能性を持っている。だから腐女子は「よく燃えそうな

関係性」を求めてジャンプや一般作品を読み漁るのにちがいない。

 

つまり腐女子は公式の関係性を意図的に読み違えるわけだ。

私の理屈で行くと、そうなる。

しかし腐女子の意見を見てると、どうもそういう意識は無いみたいで

「私はバリバリ原作絶対主義なので、関係性はすごく重要なんですよね~」とか言う。

 

外野から見れば、「関係性」を重視するならBL作品でしか腐向け二次創作は

できないんじゃないのか? ……と思うけど、現実はその180度逆なわけだ。

ここが私にはよく分からない。

 

無機物CPは関係性重視の極み

この腐女子独特の「関係性」の捉え方。

つまり恋愛に読み違え可能な濃い人間関係を見出せることが

理想的な関係性であるという捉え方。これの最たる例が無機物CPだと思う。

 

よく腐女子は鉛筆と消しゴムでも妄想できる」と言われるけど

これはけして「腐女子は鉛筆で興奮できる」という意味ではなく

鉛筆と消しゴムの役割、関係性から「俺がどんなに書いても黙って消すあいつ」

みたいなストーリーを思い浮かべ、そこに”クソデカ感情”を見出すことができる、

という意味なのだ。たぶん。

 

この腐女子の特性は、例えばおそ松、忍たま、福本作品とかいった

ビジュアル的にアレだけどなぜか腐女子が多いジャンルにも働いていると思う。

 

前に私は「腐女子に特有なこと」という記事の中で

腐女子はなぜか腐妄想の対象が異様に広い」と書いたのだった。

この問いには「腐女子はキャラ単体ではなく関係性に萌えを見出しているから」

と答えることができそうだ。

 

 とにかく二次創作界隈でも腐向けはとりわけ関係性へのこだわりが強く、

しかもその関係性は「原作の関係を保持している」というよりも

「BLへの読み違えがはかどる」という意味なのだ。

 

 

 

 

「関係性萌え」は便利なことば 

 腐女子の「関係性萌え」は、「自カプがいかに素晴らしいか」という話題にとどまらず

色々な場面に便利に使われる。

 

例えば「腐向けの大半は実質エロ漫画」という批判への反論として

「腐向けは男性向けエロとは違って関係性の描写がメインであり、エロシーンは

その延長でしかない」などと使われる。

ここでも「関係性」はマウント取りというか、免罪符に使われる。

 

あるいは「自己投影してない」の根拠として使われるのも見かける。

AとBの関係性が好きだから、私はそれを壁となって見守るのだ、という言い分だ。

 

こういう意見を見ていると、やはり腐女子は腐変換「前」の関係性と「後」の関係性を

区別していないような気がする。

変換したというよりは「腐という解釈を与えただけで変質してはいない」という感じ。

「親友とはあと一押しすれば交尾し始める関係である」とか(ネタだとは思うが)

言ってる腐女子もいて私は分からない。 

 

 

「関係性」は恋愛であってはならない?

ツイート群を眺めてる中で「あっ」と思った意見があった。

「原作でどんなに萌える関係性でも、男×女だとそれは恋愛関係になってしまう。

だから男×男に尊さを感じてしまう」

要約するとそんな感じの意見だ。

 

2019年あたりからひんぱんに見かける「クソデカ感情」という言葉にも表れてるけど

言葉にならない強い感情の塊のようなもの(と腐女子が感じるもの)が一番

腐変換がはかどるらしい。そこに「それは恋だよ…!」というマヨネーズ的解釈を

加えることによって腐向け二次創作が出来上がる。こうか。

 

こう考えると、腐女子がBL作品で二次創作しないのも「BLだから」というより

「恋愛関係がすでに確定しているから」って事かもしれない。

 

 

 

ただやっぱり分からないのは、なぜそこまでして恋愛(BL)に変換しなきゃ

いけないんだろう。

そしてなぜ二次創作界隈で腐向けだけ、「公式で恋愛関係にないキャラ同士を

好んでカップリングさせる」という法則があるんだろう。

これが体感的に分かる人だけが腐女子になれるのか?

 

私がYahoo!知恵袋を好きな理由

こないだ、qjeさんという通りがかりの女オタクからお叱りのコメントを貰った。

私のブログがあまりに攻撃的で不快である、かつマナーが悪いということが

書かれていたんだけど、それは確かにそうなのでちょっと反省した。

qjeさんは捨て垢かつコメントを削除したためもう会うことはできないが、

ひとつだけどうしても反論したいことがある。

それはYahoo!知恵袋への見下しだ。

qjeさん曰く、私がブログに知恵袋を引用していることに

「失礼ですが笑ってしまいました」と。文脈から考えて嘲笑である。

 

なるほど。

たしかに他人のブログを見てても、ツイートを貼ってる人は多いが

知恵袋を貼ってる人はほぼ見たことが無い。

 

ネット上ではよく「知恵遅れ」などと差別用語丸出しでバカにされるけど

それは確かにそう。全体的に頭が悪い。(たまにすごい博識やプロもいるが)

しかし私はだからこそ知恵袋を見るし、引用したい。

 

もしかしたらこのブログを見てる人も「知恵袋貼ってるわコイツwww」と

思ってるかもしれないので、私が敢えてそうする理由を聞いてもらいたい。

 

 

知恵袋の利用者数はとてつもなく多い

まず言いたいのは、Yahoo!知恵袋の利用者数、登録者数の多さだ。

登録者数は4800万くらいで、国内のQ&Aサイトではぶっちぎりに多い。

この4800万という数字、SNS複垢作りまくってるオタクから見れば何の指標にも

ならないと思うけど、知恵袋は2019年に複数アカウント機能を廃止しており、

これでも複垢が減らされたのだ。(もちろんゼロではないし死に垢も多数ある)

 

これはあくまで登録者数であって、

閲覧したことのある人は恐らくネット人口の8割くらい行くんじゃなかろうか。

うちの娘も「PC不具合の時にとりあえず知恵袋の過去質問見る」と言う。

 

もう一つ特徴的なのが世代のバラけ方で、30~40代で半数ほどになるらしいが

下は小学生から上は80代、男女比も65:35くらいと比較的バラけている。

 

世の中の全体像をなるべく掴みたい時、どうすればいいのか。

とりあえず国勢調査世論調査、その他あらゆる統計を見るのが一番いい。

統計が無い場合は、なるべく人が多くて偏ってない場所を観察するのがいい。

私にとってはそのひとつが知恵袋なわけだ。

 

ネット上でオタクに寄りすぎてない数少ない場所

ネットを見てると、オタクの多さにびっくりする。そして私もオタクだ。

しかし一歩外に出ると、世の中のオタク率はせいぜい1~2割かなと思う。

 

例えばプリキュアで検索すると、Googleの必死の努力により公式情報がズラッと

並ぶが、対策される前は萌えオタの餌食になってるのが一目瞭然だった。

本来、プリキュア視聴者の少なくとも半分は女児とその家族のはずだけど

ネットでは滅多に遭遇しない。

 

ためしにtwitterと知恵袋でそれぞれ「地雷」で検索し、

新しい順に100件のうち、同人用語としての「地雷」がいくつあったか見てみた。

結果がこう。

 

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これ見ただけでもtwitterはオタク率が高いけど、実際は更に高いと思う。

twitterは「その他」のツイートも大半がオタク垢で、TRPGやソシャゲの「地雷」

の話だったり、あるいは「Aの地雷を踏んで慌てるB……」とかいったCP妄想の

ツイートだったりする。(これも「その他」に含めてある)

それに対して知恵袋の質問の多くは「地雷女・地雷メイク・地雷コーデ」の話で、

次に「彼氏の地雷を踏んだ」とかいった人間関係の話、その次にゲーム中の「地雷」

の話が多い。

 

どっちの方がより世間の感覚に近いか、と考えると、私としてはまだしも知恵袋では

ないかと思う。

とは言え、「プリキュア」で検索すればtwitterも知恵袋もオタク一色になるので

結局はかなり偏ってるんだけど。

 

世の中はそんなに頭良くない

ただ、知恵袋が見下される最大の理由は「頭が悪いから」これに尽きる。

なんせ本当にバカみたいな質問が多いし、回答も何の役にも立たないことが多い。

 

ただ、思うんだけど世間の言語能力の平均値って知恵袋ぐらいじゃなかろうか。

「そんなバカな」と言われるかもしれない。

でも学生時代の作文、論文の課題を思い返すと、「なんか適当に書いて済ます」

ことすら出来ない子が一定数いた。私の周囲のおばちゃんたちも、ちょっと計算や

論理的思考が必要な話になったとたんに「あ~分かんない分かんない」と言い出す。

 

日本人の文章力、読解力は、PISAとかPIAACとかいった調査からも分かる。

世界の中では日本の成績は悪くない。

ただ、これらの例題を見てみてほしい。簡単すぎてビックリするから。

PISA 2018年調査問題例(読解力)

PIAAC 調査問題例~読解力・数的思考力~

PISAの成績は9段階に分けられて、レベル5以上の15歳は10%しかいないらしい。

PIAACに至ってはどこで間違えるのかすらよく分からない。

 

オタクの言語能力が高すぎるから知恵袋が頭悪く見える

それで思うんだけど、オタクは言語能力が高すぎる。

 

中高生の頃から、オタクは「刹那」とか「人身御供」とか「死屍累々」とかいった

小難しい言葉をやたら知ってるし、使いたがる。

小説やマンガを描く人も多い。文章作成力が高いのだ。

なら当然、ネットとの親和性も高いはずだ。基本が活字のコミュニケーションだから。

これはtwitterにオタクが集まり、インスタに非オタが集まることからも窺える。

非オタはインスタ、youtubeTikTokとかいった視覚メインのSNSを好む。

それに対してオタクは掲示板やtwitterとかいった活字メインのサービスを好む。

最近は140字で語り切れずにnoteを侵食している。

活字は検索との相性もいいから、Goole検索するとオタクの記事ばかり出てくるという

スパイラルでネットはますますオタク率が上がっていく。

 

 ただ、オタクだからといって全員が文章力が高いってわけでもないから

TikTokで動画にされた二次創作ばかり見ていたり、

たどたどしい文章でアニメや舞台のレビューや考察を書いてるオタクも当然いる。

 

ここで私が言いたいのは、アウトプットが苦手だからといってその人の理解力や

知能が全部低いってわけじゃないということ、そして世の中の半分はそういう人たちで

構成されてるということだ。

 

そして大容量時代でどんどん動画の比重が大きくなっているこれからは

オタク界隈に文章力の低い層がどんどん流入してくると予測できる。

いや、もうなってると思うけど、この流れは止まらないはずだ。

 

こう考えると、twitterやnote、5ch、ブログなどを見て回っても

一定レベルを超えた、そしてある意味旧型のオタクの意見しか拾えてないことになる。

TikTokyoutubeの質問も多い知恵袋は新旧、優劣を超えたオタクのるつぼであって

浅く広く話題を拾うのに適していると思うのだ。

まぁ、ちょっと頭悪い方向に偏ってる気はするけど。

 

知恵袋民は帰属意識がない

 はてブや5chでは、TikTokは意味不明で頭の悪い中高生が使うやつ、

という認識になってるように見える。

これは平均年齢の差もあるけど、言語優位の人には視覚優位の人がバカに見えることの

表れでもあると思う。

そして自分が上位集団であると感じてる人ほど、その集団への帰属意識が高い。

これは当然で、上位集団に属しているという事実はいい気分にさせてくれるわけだ。

 

帰属意識を持った人は、だんだんその集団に同一化していく。

これは言葉の使い方に如実に表れる。

例えば昔の2chでは「キボンヌ」とかいった独特の言い回しが流行ったけど

こういう様式に同調することで一種の選民意識と連帯感を作り上げてるわけだ。

こうやって5ch独特のノリ、増田独特のノリ、twitter独特のノリが生まれていく。

つまり、言葉遣いが独特な界隈ほど選民意識が高い

理系の人が「何回か」と言えば済むことを「n回」と言ったり、小池百合子

横文字使いたがるのも同じかもしれない。

 

それに比べると、知恵袋ってネットの最下層というか「裾野」で、利用者の間にも

知恵袋という場所への帰属意識がまるでないのだ。

 

だから知恵袋独特の言い回しや用語が生まれることもないし、ユーザーが

「知恵袋独特のノリ」(そんなもの無いけど)に染まるという現象も起きない。

 

私がnoteをあまり引用したくないと思う理由は、その多くがtwitterやnoteの論調に

無意識に同調しているように見えるからだ。その根底にはリベラル思想や

フェミニズムがあったり、オタクの選民意識があったりする。

私が腐女子やオタクの考察をする時に、そういうものがノイズになるのだ。

 

twitterはオタクの本拠地だから触らない

ちょっと話それるけど、私がツイートを引用しないのは理由がある。

それは大半のオタクにとってツイ垢は本拠地、発信地だからだ。

例えば地雷嫌悪のツイート、自己投影嫌悪のツイートは山ほど見つかるし

私はそれを根性マイニングしながらこのブログを書いている。

だから「このツイート引用したいな~~!」と思うことは多々ある。

しかしそれをやったら多分ツイート主は嫌な気分になるだろう。

 

その点、知恵袋の相談はそこを活動の本拠地にしてる人がいない。

だから引用しやすい。またtwitterでは言えない悩みや愚痴もある。

同人板にも見に行くけどこっちは更に層が偏ってる気がする。

 

 

・・・という考えでブログを書いてきたけどqjeさんにはマナーが悪いと

叱られたので、特に意図的に隠れてる人々についてどこまで話題にするかは

もっと考えなければいけないと思った。

ただpictBLandの利用者が増えてるという事実は、腐女子叩きしている人も

知っておいた方がいいと思うんだよね。

「昔の腐女子はマナーが良かった」は嘘

ネットで当たり前のように言われるこの

「昔の腐女子はマナーが良かった」、これが私は納得いかない。

一体どの時代の何を指して「マナーが良かった」のか。

それについて詳しく説明してる人はほとんどおらず、

たいがいは「最近の腐女子はマナーが悪い」と嘆く時にオマケで付いてくる。

 

1972年生まれ47歳の私は「いやいやいや、お前ら、無かったことにするなよ!」

と思ってるのでそれをどうしても書いておきたい。

 

ネットが無かったから遭遇率が低かっただけ

(ここから私の思い出話が続くので暇な人だけ読んで下さい)

│  中高と美術部員だった私の周囲は、8割が腐女子だった。

│  私にとって美術室はデッサンや油絵、デザインをやる場所だったけど、

│  彼女らにとっては「人目をはばからずヤオイの話ができる場所」だったと思う。

│  何よりも腹立たしいのは、まるでデッサンをしない。

│  アニメ絵は自信があるからこそ、デッサンをしたがらないのだ。

│  だから私を含む数人の「美術をしたい美術部員」は、

│  けたたましい腐トークに耐えながらデッサンするしかない。

│  そんなヤオラーの人々も、教室ではおとなしかった。

│  せいぜいアニメージュを開いてヒソヒソ話すだけだったから、

│  世間的にはマナーが良かったのかもしれない。でも私にとっては違った。

│  ある日、美術室で男子部員がキレた。

│  「うるせえんだよ!」のあとは何を言ってるのかよく分からなかったが

│  多分「気持ち悪い話をずっと聞かせやがって!」的な事をひとしきり叫んでから

│  猛然と飛び出していった。

│  私は内心、よくぞ言ってくれた・・・と。

│  これで少しはヤオイトークもおさまるだろう・・・と思ってたけど

│  驚くべきことに何も変わらなかった。例の男子部員は「突然発狂した変人」

│  という扱いになり、二度と戻ってこなかった。

│  この美術部の状況は、うちの娘の話を聞く限り、現代も変わってないと思う。

│  30年たってもびっくりするくらい同じなのだ。

│  ちなみに当時の私は、好きだったジョジョの2部をヤオラーからさんざん

│  コケにされ、花京院受けのエロ妄想を毎日のように聞かされ、ついでに

│  ジョジョ立ちを見せられて毎日ムシャクシャしていた。

│  あの「あたしら面白い」オーラが更に腹立たしいのだ。

│  これを読んで「それはあなたの周りの腐女子がマナー悪かっただけでしょ?」と

│  思う人は、知恵袋で「美術部 腐女子」で検索してじっくり読んで欲しい。

│  そしてこの状況が30年前には稀だったと言える根拠は何なのかと問いたい。

│  社会人になってからも何度か腐女子に遭遇した。20年以上前の話だ。

│  まぁ業種が美術系だったから仕方ないのか。

│  そこの先輩(腐女子)に4年くらい悩まされた。

│  先輩は、自分がいかにマナーのいいヤオラーであるかを力説した。

│  同人誌はベッドの下の段ボールに入れてあって、死期を悟ったらいつでも

│  焼却できるようにしてあるとか、J禁という十字架を背負ってるという覚悟は

│  あるとか、私たちは日の当たる場所に出てはいけない部類のファンなんだ、

│  という話をよくしてきた。

│  それほどマナーがいいはずの先輩が、休憩のたびに私に腐妄想を聞かせてくる。

│  ドラマやバラエティの話をしつつ、端々にヤオイが差し込まれてくる。

│  読んだこと無いと言ったら翌日にスラムダンクを全巻持ってきて、

│  しつこく感想を聞いてくる。先輩は三井受け派だったので、やたら三井に

│  関する質問をされたけど私が興味を示さなかったので失望された。

│  それから数年後、私は妊娠し仕事を辞め、ブラブラしていた。

│  たまたま隣に住んでた主婦も妊婦で、誘われて遊びに行ったらなんと

│  私の好きな「こいつら100%伝説」というギャグ漫画が本棚にあった。

│  それで大喜びしたのも束の間、彼女は押し入れの奥から自分が描いた同人誌を

│  出してきて「あげるから感想聞かせて!」と。

│  それは危脳丸総攻めのBL同人誌だったので、私は家に帰るなり即捨てた。

│  その場で突っ返さなかった私も悪いが、そんな勇気のある人が何割いるのか。

│  こんな風に、20年以上前でも、歴の長い腐女子でも、

│  けして世間に迷惑をかけずにマナーよくやってた人ばかりではない、と

│  私は強く言いたいのだ。

(思い出話ここまで)

 

バイアスも甚だしい

だいたい「昔の腐女子はマナーが良かった」なんて言ってる人の大半は

歴の長い腐女子当事者であって、マナーを嘆く側になったのだから

そりゃ昔からマナーが良かったんでしょうよ、お前の中ではな!と私は思う。

 

それに私が出会ったヤオラーの先輩もそうだったけど、

周囲から見てほんとにマナーがいいかどうかは関係ない。

自分が決めたマナーを守ってることが先輩にとって「マナーがいい」って事なのだ。

 

昔の悪行を「やんちゃしてた」で済ませ、今は良きパパとなった元ヤンと同じで

オタクの「黒歴史」の数だけイヤな思いをした周囲の人間がいる。

いや、そうやって迷惑行為を矮小化し自尊心を保つのは人間の知恵であって、

そこを断罪するつもりは無いのだ。私もやってるし、きっと世の中みんなそう。

ただ「昔の腐女子はマナーが良かった」なんてのは嘘だと言いたいのだ。

 

全部アンチのせいにする

もうひとつ納得いかないことがある。

過去に「BL同人誌を原作者に送りつけた奴がいた」という話が複数ある。

それのせいでアルスラーン戦記がずっとBL二次創作だけ禁止されてたとか

 少年ジャンプの巻末で腐女子への苦言が掲載された、と言われている。

アルスラーンについてはそうだろうけどジャンプの方は不明)

私が納得いかないのはその同人誌を送りつけた人間が腐女子ではなく

腐女子アンチだ、と決めつけている人の多さなのだ。

 

アルスラーン戦記の作者のもとに届いた大量のヤオイ本が全部

アンチがわざわざ即売会に行って買ってきたものだと考えるのはさすがに

無理があるのでは。

 

それに、もし本当に全部アンチの仕業なんだとすれば、昭和の時代からアンチが

一定数いたわけで、アンチが湧くくらいには腐女子が目立っていたことになる。

  

実際どうだったのかは検証しようがないけど、常識的に考えれば

おおかたは盲目的な腐女子がやったと考えた方が自然じゃなかろうか。

今でも公式に堂々と腐コメしてる腐女子が大勢いるわけで、気持ちは同じだろう。

  

 

「個人サイト時代はマナーが良かった」

00年代の個人サイト時代は腐女子のマナーは良かった、って意見も多い。

これは多少頷ける。

  

00年代の女性向けの同人サイトは、Googleなどの検索で出てこないように

検索避けしなければいけない、という風潮があった。

これは腐向けに限らずで、二次創作は隠れなければいけない、という雰囲気があった。

個人サイト作ったことのない人はピンと来ないと思うけど、

当時の同人サイトは検索しても出てこない代わりに、サーパラとかの検索エンジン

登録することで閲覧を稼いでいた。

このシステムによって、そこそこの意欲を持って同人サイトを探している人にしか

見えないようになってたわけだ。

 

また個人サイトはPCがあってサーバーを借りられる人しか作れないから、

結果的に一定以上の年齢の人ばかりになる。

サイトを作るのは手間がかかるから、炎上したら捨てればいいSNS垢とは違って

アンチに目を付けられないよう検索除けする人も多かった。

デジタル描きのハードルも高かった。

そもそも小中学生にネット環境がまだ無かった。

  

つまり00年代は腐女子のマナーが良かったのではなく、

ネットの色々な事情からそう見えてただけなのだ。

00年代でも検索よけしなくて晒される同人サイトはたくさんあったし、

掲示板は腐コメで荒れていた。

美術室でも相変わらず腐女子が大騒ぎしていたに違いない。

 

ひとつだけ「00年代はマナーに厳しかった」根拠として思いつくのは

ポケモンときメモドラえもんなどの同人問題の記憶がまだ新しく

界隈に今よりも警戒心があったことだ。

今はいきなり逮捕というケースが無く、公式からの警告や呼びかけで済むので

かなり警戒心が下がっているように見える。

 

 

同人オタクの低年齢化

とはいえ、小学生の腐女子がここ数年で急増したとは思う。

これが「今の腐女子はマナーが悪い」と言われる最大の理由かもしれない。

ひとつのきっかけはWiiUで、2013年当時の小学生がWiiU経由で大量に

ニコ動に流入した。

当時うちの娘も小6で、スマホのない当時の子供のネットの入り口として

WiiUの存在の大きさを感じたものだ。

(当時はiPodやこどもチャレンジのタブレットも入り口になった)

 

2020年の今は親のスマホタブレットを借りてyoutubeTikTokを見るのが

当たり前になり、そこから腐に目覚める子供が多いように感じる。(ソース知恵袋)

 

こういう動画サイトは、同人界隈独特の「棲み分け」が難しい。

twitterでも「作品名・キャラ名を伏せろ」としきりに呼びかけられてるけど

そんなおまじない程度の隠れるポーズで本当に公式や小学生から魔法のように

見えなくなってると思ってる同人者は、いないと思う。

 

小学生が増えれば小難しいマナーやルールが崩壊するのは当たり前で、

どんなに「昔は良かった」と嘆いて見せたところでもう元には戻らないだろう。

仮に元に戻ったとしても、本当にマナーの良かった時代なんて無いのだから。

 

「マナーのいい腐女子は見えないだけ」って言うけどね?

ここまで読んだ腐女子がいたら、きっとこう言うと思う。

「マナーのいい腐女子はそもそも一般人からは腐女子だと分からない。

あなたがマナーのいい腐女子に出会っても腐女子だと気付かなかっただけだよ」

と。

 

もしこれが本当なら、私の部活動はもっと有意義だったはずだ。

一対一ならいい人でも、2人3人と集まると、腐女子はもれなく腐った話を始める。

それとも腐女子にとって美術室だけはマナーを守らなくていい場所なんだろうか?

 

「あの人はもしかしたら隠れ腐女子だったかもなぁ」と思う人は何人かいる。

あの人たちがいわゆる「マナーのいい腐女子」なんだろう。

体感では腐女子全体の1割いるかどうかだ。

 

もちろん私には隠れない腐女子でも、職場ではマナーよく隠れていただろう。

例の先輩もそうだった。

なぜなんだ。私はそんな奴を「隠れ腐女子」とは呼びたくない。

 

ネットの話に限定すれば、pictBLand(腐女子向けクローズドSNS)の利用者が

ここ数年でかなり増えている。

だから「隠れてる腐女子」が一定数いることは確かだ。

ただ、その数はtwitterの公開垢でやってる腐女子に比べれば桁違いに少ない。

  

だいたい、twitterで堂々とやってる腐女子がごく一部だとしたら、

腐女子の総数はどんだけ多いんだって話になってしまう。

どう見積もってみても、今も昔も「隠れ腐女子」の割合は少ないのだ。

 

しつこいけど私が言いたいのは「腐女子はマナーを守れ」でもなければ

「オタク界隈で腐女子が一番マナーが悪い」でもない。

「昔はマナー良かったって嘘じゃん!」と言いたいのだ。

 

 

 

 

腐女子が言う「地雷」とは何か

同人界隈で当たり前のように使われてる「地雷」「地雷持ち」という単語、

冷静に考えると不思議というか、よく分からなくなってきた。

 

世間一般では「地雷」は「踏んではいけないもの」のことで、

振ってはいけない話題や関わると面倒な人をさす。

最近は「地雷系コーデ」(ゴスロリ系、病み系のファッション)とか

「地雷女」(メンヘラ系のやばい女)とか使われる。

 

同人界隈の「地雷」は、見るとダメージを受けるカップリングや作風を指す・・・

というのは確かにそうなんだけど、どうも人によって微妙に指してるものが違うような

気がする。

 

前に「地雷持ち」なんて言い方はもうやめようって記事を書いた時も、

(書き殴ったという方が近い…)腐女子から「嫌いと地雷は違う」とお叱りを受けた。

それで「え、違うんだ…」と。

 

例えばこれ。

まず、「嫌い」と「地雷」は違う
そこを理解しないままに「結局きらいなだけなんでしょ!おおげさにいって!!」って視点でしか見ない人が一定数いるように思う。

腐女子のいう地雷は基本的に「アレルゲン」
触れるとアレルギー症状を発症するので摂取したくないって話だと理解すればいい
(アレルギー症状も度合いも人によって色々ですしね。)
そして地雷ではなくアレルゲンは○○です! っていえ!
っていうなら、

「せやな」

って同意する人は多いとおもう
結局そんな大げさなわけないとか、嫌いなだけでしょっていう相手を無条件に下にみたスタンスそのものこそが叩かれる原因だとまず理解すべき

っていうか、腐女子の娘もった親がこんな程度の認識って事実の方が怖いわ

 

検索すると「地雷とは、苦手、あるいは嫌いで絶対に受け入れられないCPや

シチュエーションetc.」って書いてある。

どうも腐女子にとってはこの一般的な定義では説明しきれない意味が込められてる

思う。なんとなく。

とはいえ「じゃあ何なの?」という疑問には、なかなか答えてくれない。

 

上記のコメントも「アレルゲン」「触れるとアレルギー症状を発症する」という

さらなる比喩で説明しているけど、ネットを見回してもひたすら比喩なのだ。

段差とかタンスの角とか。かろうじて比喩じゃない類義語が「解釈違い」だけど、

じゃあ解釈違いはどうして(人によって)激しい拒否反応をもららすんだろう。

 

noteにも地雷持ちの”お気持ち”がたくさんあるけど、この点はどれも同じで

謎の激しい拒否反応を一様に「地雷」と呼ぶものの、それ以上は言語化されない。

それはまるで湧きあがる嫌悪感に「地雷」というラベル貼りをした瞬間に思考停止

してるようにも見える。

 

とりあえずtwitterとYahoo!知恵袋をじっくり見てみることにする。

・・・「また知恵袋か!」と言われそうだけど、私は知恵袋が大好きだ。

頭悪いとか散々言われるけど多分、ネットの中では現実社会に近いと思う。

ただ中高生や高齢者が多いこと、話題が実生活に偏ることは差し引く必要がある。

 

 

逆カプ、競合カプが地雷という人が最も多い

 

ためしに知恵袋でざっくり「地雷」についての相談を拾って読んでみた。

 

「地雷」で検索して一番多いのは地雷コーデや地雷女の話題で、次が兵器の地雷の話。

同人系の地雷の話は全体の1割ほどしかない。

またその大半が「地雷踏んだ時のダメージどうやって忘れますか?」とかいった

シンプルなものなので、そういうのは除外して「何が地雷なのか」が多少なりとも

詳しく書いてある相談だけ抽出して集計してみた。その結果がこう。(全65件)

f:id:tkrtht:20200728155318j:plain

この「カップリング」ってのはあくまで二次創作のCPという意味。

なので公式でくっ付くのが地雷というパターンは分けた。

 

私が集計した感じだと、地雷に悩んでる人の9割以上が女オタクで、

とりわけ腐女子が多い。(不明にしたケースも半分くらいは腐女子と思われる)

カップリングについてもうちょっと具体的に言うと、腐女子の地雷の大半は

やはり逆カプと競合カプ。つまりAB推しの腐女子にとってのBAやACだ。

とりわけ受けの解釈が変わるものが地雷化しやすいっぽい。

やはり女オタクはカップリングの右側への執着が強い。

 

あと公式で男女がくっ付くのが地雷、という女オタクは腐と夢の半々くらい。

ヒロインアンチで暴れてる女を腐だ夢だとなすりつけあう醜い姿を見るけど、

たぶん両方混ざってる。

 

「その他」の6件は特定のキャラが地雷とか、腐向け全般、18禁など。

 

地雷の辛さを具体的に表現すると

腐女子による「地雷はどれくらい辛いか」の説明を見ると、

「病院に行った方がいいのでは?」と言いたくなるほど激しく恐ろしい症状が

綴られている。

 激しい動悸。吐き気。涙が止まらない。しばらく寝込む。気分が落ち込む。

トラウマになり何度も思い出す。再び地雷を踏むんじゃないかという恐怖。・・・

 

PTSDでは? 

・・・と質問してる人もいたけど、「トラウマ体験があるわけではない」

「純粋に受け付けない、視界に入れたくないだけ」らしい。

 

まぁ大袈裟に言ってるだけという可能性もあるか。

ただ、そのわりには人々の症状が似通ってるのが気になるなぁ。

 

夢女子は「地雷」より「同担拒否」をよく使う

 上の集計を見ると「夢女子は地雷持ちが少ない」と錯覚するけど、ちょっと違う。

 

まず腐女子と夢女子では母数が違う。

ツイプロだと「腐女子」が195,465件、「夢女子」が20,094件。

「腐垢」が20,518件、「夢垢」が 12,447件。

ざっくりだけどやはり総数は腐女子の方が多いっぽい。

 

あと夢女子は「地雷」という言葉を腐女子ほどには使わない。

ためしに再び知恵袋で夢女子の相談を抽出してみた。

(私の主観でそこそこ悩んでそうな質問だけ抽出してるので偏りが生じる…

かといって選別しないと「おすすめの夢小説教えて」とかで埋め尽くされる)

 

結果がこう。

f:id:tkrtht:20200730182315j:plain

これ見ても分かる通り、夢女子は「地雷」より「同担拒否」とか「同担が憎い」

「ヒロインが嫌い」とかいった表現を好む。CPよりキャラ単位で考えてるわけだ。

 

驚くべきことに「同担拒否」がどういう感覚なのか?は言語化出来てる人が多い。

かんたんに言えば「嫉妬してしまうから見たくない」ということらしい。

このへんが腐女子と夢女子ではかなり違ってて、夢女子の方が物言いがストレートだ。

同担拒否にもいくらか温度差があるらしく、単純にファン同士でマウント取り合いに

なったり財力で負けるのが悔しいから心の平穏のために距離を置きたい、って

人もいれば、もう自分以外のファンは全員殺す、くらいの勢いでガチ恋してる人まで

いるっぽい。これは感覚としては分からんが理屈としては理解できる

 

私が気になるのは、腐女子の言う「地雷」がこの「同担拒否」つまり嫉妬と

だいたい同じものなのか、それとも違うのかだ。

腐女子に聞いたら「違う」って言いそう。

腐女子は「キャラに自己投影なんてしてない」「壁視点」ってスタンスなので。

夢女子と一緒にするな、と言うんじゃないかなと。よく同担拒否バカにしてるし。

 

 ただ、夢女子が訴える「同担やヒロインを見た時の辛さ」は、腐女子が言う「地雷を

見た時の辛さ」とかなり似ていて、動悸、吐き気、涙が出る、落ち込むといった表現が

よく使われている。

 

夢女子の思考は極端ではあるけどシンプルで、

キャラに恋してるからライバル(=同担、ヒロイン)に嫉妬する。

激しい嫉妬の症状と考えると「動悸・吐き気・涙が出る・落ち込む」はしっくり来る。

 

 ネタかな?という気もするけど、ネットで色々見てると同担を刺したいとか

皆殺しにする妄想をしている夢女子もちょいちょい見つかる。

夢女子のこういうストレートさは腐女子との大きな違いだと思う。

 

腐女子が「地雷」を自覚する瞬間

ところで ネットを見てて気付いたことがひとつある。

腐女子は地雷持ちの辛さ、大変さをよく長文で語っているけど

それ見てるとだいたいこの流れに当てはまる。

 

  1. もともとは一般的なファン、あるいは二次創作全般を楽しんでいた
  2. ある日、友達に勧められ、あるいはネットで偶然、腐向け二次創作を見る
  3. そこから一気に腐に目覚め腐向けを漁り始める
  4. 突如、特定の二次創作(まれに公式)に激しい拒否感、気持ち悪さを感じる
  5. 以前は普通に楽しめていたものがいつのまにか地雷になっていた…と悟る

 

 

つまり3と4の間で地雷が形成されている。

なんとなくの推測だけど、この過程で腐女子がやってるのはカップリングの理想化

というか、カップリング解釈の内面化みたいなことだと思う。

巷に溢れる二次創作を漁る中で「これだ」と思う解釈をどんどん取り込んでいく。

そして「理想のAB」が脳内に形成されていく。ここで切り捨てられた「残念なAB」

あるいはBAだったりACだったりが地雷となっていく。

とするとカップリングの理想化が進むほど地雷化も進むのでは?と思えてくる。

これは「カップリングは宗教」の話にも通じるかもしれない。

 

あと歴の長い腐女子だと、ジャンル移動とほぼ同時に固定厨と地雷持ちになる、

という即発症パターンを繰り返してる人もよくいる。

つまりいちど地雷持ちになると、どうも年々悪化する人が多そうだ。

あと「昔は地雷持ちだったけど最近は治った」って人が見当たらない。

いや、いるのかもしれないけど。

 

地雷と同担拒否を比較してみる

今までの私の推測を要約すると、

  • 地雷持ちは「地雷」を嫌いや苦手とは違うと言うが、そこを言語化はできない。
  • 「地雷」と「同担拒否」は、動悸や吐き気といった症状が似ている。
  • 「同担拒否」の本質は嫉妬。
  • ということは地雷の本質も嫉妬なのか?

 

・・・て感じなんだけど、ここで大きな壁にぶつかる。

腐女子の「地雷」の代表である逆CPや競合CPって、どう見ても嫉妬の対象じゃない。

夢女子の構図をそのまま腐女子にスライドするなら、腐女子が嫉妬すべきは同CP者だ。

いや、稀にそういう腐女子は存在してて、「推しCPの二次創作が全部地雷」という人が

同人板なんかで愚痴ってるのを見る。鍵垢や個人サイトにこもるので見つかりにくい。

ともかくそういうタイプは少数派で、大半は逆CPや競合CPが地雷化している。

 

なぜ腐女子の地雷は逆CPと競合CPに集中するのか?

なぜ逆CPや競合CPがそんなにダメージを与えるのか?

これが分からない。

 

地雷を理解できてない私から見ると、他人の二次創作なんてそいつの妄想でしかない

んだから、どんなに「違うなー」と思っても吐いたり寝込むほどのダメージ受けるとは

思えないのだ。

 

 

やっぱり「恋愛」なのか?

私と同じように「地雷って感覚が分からない」という人の質問に対して、

知恵袋で地雷持ちの人がこう説明していた。

「好きな男子が他の子とイチャイチャしてるのを見てしまった時の気持ちに似ている」

 

 

やっぱそこだよなぁ・・・

動悸、吐き気、落ち込む、涙が出るってどう見ても嫉妬や失恋の症状なんだよな。

 

「恋愛」と思いながら上の方に書いた1~5の流れを見返すと

私はつい少女漫画によくあるアレを思い出してしまう。

 

  1. もともとはただの友達、あるいはいけ好かないイケメン男子。
  2. 何かの拍子に「男」として意識する。
  3. べつに好きじゃないし…でもなぜか気になる…
  4. イケメン男子が見知らぬ可愛い女子と一緒に歩いてるのを発見。
  5. 何だろうこの気持ち…胸が痛い…私、あいつのこと好きなんだ…

つまり嫉妬によって自分の気持ちに気付くというアレ。

 ちなみに見知らぬ女子は高確率で妹。

 

 

知恵袋の質問から、なるべく具体的かつ典型的だと思うケースをあげてみる。

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

逆カプ推しの友達が約束を破って逆カプを描くのが許せない……という相談。

友達を牽制するため途中から二次創作のマナーを持ち出すあたりが腐女子らしい発想。

また地雷持ちの自分がいるせいで友達の自由が大幅に制限されてるという問題に

疑問を持ってないらしい点は、趣味と考えると理解しにくいが「恋愛」と

考えてみると微妙に納得できる。

そう言えばネットでよく見る腐女子の相談で「オフ会に自分の地雷カプ推しの人が

来るので、地雷カプの話題を禁止するよう主催者にお願いしたい」てな話がある。

これも私からするとすんげえなって思うけど、「推しCP」じゃなく「恋愛」と

考えてみるとそういうもんなのかなと。いや、やっぱり分からん。

 

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

ジャンル移動するたびに重度の固定厨になって友達関係にまで悪影響が出そうだという

腐女子の相談。地雷の症状がテンプレだったので貼ってみた。本人も異常だという

自覚があるっぽいのに、一方で地雷が全部悪いという信念が捨てられない状態。

 

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

こっちは完全に「地雷持ちが普通の感覚であって雑食なんて信じられない」という人。

この人はカップリングを現実の恋愛と同じように考えていて、固定厨こそが一途な

愛の形だと思ってるっぽい。その点でガチの夢女子にもちょっと似ている気がする。

 

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

友達を沼に引きずり込んだと思いきや、自分の地雷カプを推し始め狂いそう……

という相談。これ文章が上手い人なんだろうな。面白い。3太夫で笑った。

あと、最初は雑食だったはずが、だんだん固定厨へと変わっていく過程がけっこう

詳しく綴られていて、上に書いた典型パターンに当てはまっている。

あとこの人は必死に自力解決を模索していて常識人っぷりが窺える。

 

 

 

こういう腐女子による地雷の苦しみを読むにつけ、私が一番不思議なのは

周囲の友達やフォロワーへの期待が大きすぎない?と。

いや、友達が1人しかいないならまだ分かるが数人、へたすると数十人いるわけで、

他人の地雷なんていちいち覚えきれるわけがないし配慮っつっても

限界あるよね?と。

でもこれがもし友達の「リアル好きな人」なら、話は変わる。

友達の好きな人を知っていながら平然と「でも誰々さんとお似合いだよね」とか

言う女がいたら、確かにかなり無神経だ。

 

 

 

 

 

なぜ腐女子は地雷の中身を言語化できないのか

腐女子ってのはオタク界でもかなり言語能力が高いというか、多弁な種族だと思う。

その腐女子が「地雷」をアレルギーとかタンスの角だとか、様々な比喩を使ったり

恐ろしい症状の列挙によって輪郭をなぞることは熱心にやるのに、

肝心の中身をなかなか語ろうとしないのはどういう事なのか、それが気になる。

そもそも「地雷」がもう比喩なのだから。

 

それに対して「同担拒否」ってのはびっくりするほどストレートな表現だ。

ストレートすぎてカドが立ちまくっている。

 

これについて私はずっと「腐女子帰属意識が高くルールで縛る習性があるから

カドが立たないよう比喩で表現してるんだろう・・・」と、思っていた。

それに対してジャニオタや夢女子は自分中心にモノを考えるから同担拒否なんて

ド直球な表現もできるんだろう、と。

 

しかし別の理由があるかもしれない。

もしかすると腐女子はほんとうに地雷の本質が分からないのかもしれない。

ためしにうちの腐女子の娘に聞いてみても「うーん…地雷は地雷だからねぇ…」と。

そしてしばらく考えた末に言ったのが「まぁ解釈だよね。キャラ解釈が違うのは

その人にとってはニセモノみたいなもんだから。」と。

ぜんぜん答えになってない。

ニセモノ見て動悸や吐き気が起きる意味が分からない。

 

そもそも逆CPが最も地雷化しやすいってのが全然分からないし

検索して色々読んでも「関係性が~解釈が~」っていう堂々巡りの話しか出てこない。

 

ここまで言語化不能かつ重篤な症状が出てくるものは、私には抑圧しか思いつかない。

抑圧してるなら本人は自覚ができない。

 

 

例えば私だったら、どんな二次創作を見たら動悸や吐き気がするほどショックを

受けるだろうか?と考えてみた。

たかだか赤の他人の二次創作で。

しばらく考えたけど「私自身をネタに書かれたら」くらいしか思い浮かばない。

まぁ無いけど。あるわけないけど。でももしそれだったら相当イヤだろうなと。

げんしけん」で中学生の荻上さん(腐女子)がふざけてクラスの男子のBL漫画を

描いたらその男子が不登校になった、というエピソードがあった。

その男子は動悸・吐き気・涙が出る・落ち込むとかいった症状が出てもおかしくない。

私はそれくらいしか思いつかない。

 

つうか自分自身の尊厳が傷つけられない限り、こんな激しい拒否反応って出てこない

思う。「推しがけなされた」と思うだけならここまで衰弱しないだろう。

むしろ強気で戦うんじゃないかと思う。腐女子なら。

だから重度の地雷持ちの腐女子が「自己投影してない」ってのはウソだと私は思う。

 

いや、女オタクが言う「恋愛における視点」という意味なら、たしかに腐女子

受け視点ではない、つまり自己投影はしてないんだろう。

・・・てのは何度もこの日記に書いた。

でもそれとは違った腐向け二次創作特有の、受けへの同一化の形があるんじゃないかと

私は思っている。カップリングへの同一化と言った方がいいかもしれない。

  

そう考えると夢女子の同担拒否も、腐女子の地雷も、

「私」がないがしろにされた怒りという意味では似てるのか。

いや、同担って腐向けで言ったら受け違いの別CPって考え方もできるか。

じゃあ地雷と同担って似てるのかも。

 

まぁ私がそう思ってるってだけだけど。

 

 

とりあえずのまとめ

現時点で「地雷とは何なのか」「なんで地雷なんて言い方が浸透したのか」について

いい答えは思いつかない。・・・んだけど、とりあえずまとめると

 

  • 典型的な地雷症状(動悸、吐き気…)を呈するのは主に腐女子、次に夢女子
  • そこで言われる「地雷」は単なる嫌いや苦手ではない
  • 地雷・同担を見た時のショックは恋愛における嫉妬や失恋に似ている
  • 腐女子は自分の恋愛感情を抑圧してるため言語化できないのではないか
  • キャラやカップリングへの同一化、理想化が進むほど地雷ができやすいのでは

  て感じだ。

 

オタクとサブカルをアイデンティティで分けてみる

 うちの娘が美大に行ってるんだけど、美大ってのは昔からサブカル系の人種が多く
オタクの娘はそれが苦痛らしい。
 
 オタク女とサブカル女の違いについて色々考えてて、もしかすると
社会的アイデンティティと個人的アイデンティティで説明できるのでは?
と思ったのでそれを書いてみる。
 
私が女なので、どうしても「オタク」「サブカル」をベースに考えてしまうので
かなり偏った話になっていると思う。
 
オタクとサブカルの対立

オタクとサブカルは長らく対立概念というか、相容れないと見なされてきたと思う。

 

2013年のtogetterに面白いまとめがあった。

togetter.com

このまとめ読んでて思うに、90年代から2013年にかけての「サブカル」と言われて

人が思い浮かべるものは主に3つある。

1.90年代サブカル誌(クイックジャパン、宝島…)のノリ。  

  そこでもてはやされた文化人とそれ系の作風。アングラ系。

2.若者のファッションスタイル。時代よって微妙に変化し続けるが、基本的に個性が

  強めで流行やモテに逆らう。下北系、古着、病みかわ系など。

3.もっとも広い意味でのサブカルチャーメインカルチャーの対義語で

  オタクとサブカルの両方を内包する。

 

・・・で、私が思うに1のサブカル誌はすでに絶滅してて、今の若い人は

ピンと来ないと思う。20代で知ってる人がいるのってねこぢる丸尾末広くらいでは…

とはいえ、「サブカル系」と言われた時に年寄りも若い人もだいたい近いものを

思い浮かべるのが凄いと思う。例えばくっきー!の芸風を、うちの20歳の娘も

サブカルっぽい」と言うし私もそう思う。

 

2020年時点の若者の頭の中にある「サブカル系」「サブカルっぽい」は恐らく

上の1と2を足してまぜたやつ。あるいはそれをほんのりでも感じるおしゃれな

イラストとか音楽などなどを漠然と「サブカル」と呼んでいて、これといった主義や

思想があるわけではない。・・・と推測している。

 

 

一方で「オタク」が意味するものは90年代と今ではかなり変わった。

とくに今の10~20代には「オタク=アニメやゲームに詳しい人」という誉め言葉だと

思ってるらしき人も一定数いる。もちろん今も中森明夫とだいたい同じ意味の蔑称で

使ってる人もいるし、3の意味のサブカル全般を愛する人という意味で使ってる人も

いる。オタク研究家も主観で語るし、もう「オタク」の定義をすり合わせるのは

不可能だと思う。

それは逆に言えば、「誰がオタクで誰はオタクじゃないか」「何がオタク趣味で

何はオタク趣味じゃないか」については多少ブレつつも世間がうっすら共有しており、

それをどう定義するかで意見が割れてる、という風にも見える。

つまり定義はできないけど「オタク的なもの」はあるっぽい。

 

上のまとめでもちょいちょい言及されるように、オタクとサブカルという2つの

価値観は対立するばかりではなく、混ざったり個々人の中で並存してきた面もある。

だから、日本中の作品や人を「オタク軍」と「サブカル軍」にまっぷたつに

分けられるようなものではないし、90年代当時もなかったはずだ。

そしてSNS時代の今は、作品が店や雑誌というのれんで分けられずに一緒くたに

並んでいる。

 

・・・とすると、2020年の今もなおオタク女、サブカル女という対立(?)が

残ってる(ように私には見える)のは逆にすごい気もしてくる。

 

サブカルクソ女

サブカルクソ女ということばは2012~13年頃にtwitterで話題になった。

そこで言われたのは青文字系のいけ好かないファッションに前髪ぱっつんで

一眼レフで写真撮ったり中原中也を携えてたりするめんどくさい女だ。

 

そのイメージが崩壊するのが2016年頃にポプテピピックでネタにされてからで、 

サブカルクソ女をまったく登場させずに攻撃対象に据えるという扱いのせいで

これ以降「サブカルクソ女」は架空の敵として現実社会と切り離されたように思う。

 

  

 サブカル女子・量産型ヲタク

それに対してここ数年は「サブカル女子」を蔑称ではなく

純粋なファッション用語としてポジティブに使ってる人が増えてきた気がする。

 

また「量産型」という言い方もインスタを中心に浸透している。

 

この2つは、ためしにそう自称している人のファッションを眺めても、正直どのへんが

サブカルだったり量産型なのかがよく分からない。ただどちらも蔑称ではない、

という事くらいしかおばちゃんには分からない。

分からないなりに推測で書くと、量産型ヲタクというのは、中身はバリバリオタクでも

外観からはオタク臭がせず、それでいて目立ちすぎず、オタク仲間と横につながるのに

最も適した没個性で可愛い系のファッションを指していると思われる。

 

それに対してサブカル女子からは、「おそろい」を徹底的に避けるような

わが道を行く意思を感じる。万人ウケしようという「媚び」が感じられない。

個性を目指しつつ「サブカル系」とくくれてしまうという矛盾と薄っぺらさ。

 

このへんは90年代から2013年頃までに使われた「サブカル」を受け継ぎつつも

かなり毒抜きされたように見える。

 

個人的アイデンティティと社会的アイデンティティ

 オタク系とサブカル系は、生態がかなり違うと思っている。ざっくり言うと、こう。

これってつまり、

オタクは社会的アイデンティティサブカルは個人的アイデンティティが優位に

なってる、と言えるかもしれない。

 

つまりオタクは「私はオタクである」「私は○○のファンである」

という自己カテゴリー化によって、「オタク」とか「○○ファン」という集団に

所属することで「私とは何か」を把握してるわけだ。

オタクは好きな作品に同一化するから、○○が売れれば自分の手柄のように誇らしく

感じ、「絶対売れると思ってた」「面白いからぜひ」と大喜びで宣伝する。

 

それに対してサブカルは「私」という人間を把握するために「○○が好き」「○○に

詳しい」を羅列するわけだ。だからサブカルにとって好きな作品は多ければ多いほど、

またマイナーであればあるほど、「私」を説明するのに役に立つ。

なぜなら、「猫が好き」「邦画が好き」「おしゃれが好き」などという母数の多い

属性をいくら並べても「私」が他の誰でもない私である説明にならない。

「高校生だけど平沢進が好き」と言えば一発で「私」が際立つわけだ。

つまりサブカル系は個人的アイデンティティを拠り所にしている。

 

これは言い換えるとオタクは没個性・様式化を目指し、サブカルは拒否す

ってことでもある。

 

エヴァが出てきた時にサブカル的なもてはやされ方をした、という話が上の

まとめでも言われてるけど、これは確かにそうだったと思う。

 

よく非オタは「萌えアニメの絵が、全部同じ人が描いたのかと思うくらい似ている」

と言う。pixivのランキングを見ても絵柄が似すぎて異様だと。

たまに一部の天才によって、かなり斬新な作品が生み出されると、オタクカルチャーと

いう枠が壊れ、広い意味でのサブカルチャーにおける革命としてもてはやされる。

あるいはサブカル野郎から厳しい吟味を受ける。

それがかつてのエヴァだったりAKIRAだったりしたって事なのかもしれない。

 

その一方で「サブカル系」には別のイメージもあって、エンタメ性が低く、

無駄に文学的だったり哲学的なノリで雰囲気に酔ってるだけのつまらん漫画や音楽…

をさして「サブカル系」と言ってるように感じることもある。うちの娘もそう。

これは晩年のガロなど勢いを失くしたサブカルの末路というか、形骸化したサブカル

というか、サブカルのダメなとこの寄せ集めみたいな感じだと思うんだけど

意外と若者にとっての「サブカル」のイメージはその辺のような気もする。

 

・・・と、私の主観でみると、そんな感じがする。

 

 

オタクは信者、サブカルは神

前にちょっとだけ、オタク女とサブカル女の違いについて書いた。 

サブカルとは何なのか

 

その一部をもっかいコピペしてみる。

ためしに、オタク女とサブカルクソ女の最大の違いを聞いてみたら
なかなか的確な答えが返ってきた。
 
    それはね、キャラが好きか、自分が好きかの違いだよ
 
つまりクソオタクは、推しへの愛を示すために金をつぎ込んでいる。
オタクが頑張れば頑張るほど、推しが輝くのだ。
しかしサブカル女は自分が一番好きで、自分をいかに個性的で
センス溢れる人間に見せるかを考えている。サブカル女が寺山が好きって
言うのは、寺山が好きなんじゃなく、寺山が好きな自分が好きなだけ。

当時は単純に「自分大好き女がサブカルに走る」と考えてたど

アイデンティティの構築方法に両者の溝があると考えると、ちょっと納得できる。

オタクは自己を同一化した対象をより高く評価することで自分のアイデンティティ

維持してるのだから、これがエスカレートすれば当然、推しを神の域まで高めようと

することになる。たまに二次元のポスターに複数のオタクがひれ伏してる気持ち悪い

写真がSNSに流れてるけど、オタクは自虐と見せかけてこの上ない満足感を得ている

はずだ。

 

それに比べるとサブカル系の人々の「好きな作品」への態度はやや冷めている。

作品論を語って自分の中の体系に組み込むことで、あるいは本棚に並べて

自分の博識ぶりの足しにすることで満足感を得ているように見えたりもする。

サブカル女なら「個性的な私」を演出するためのアクセサリーでしかないような。

考えてみると90年代サブカル誌も、ホームレスや精神障害者、風俗やAV、汚物や

特殊性癖といったきわどい題材を面白おかしくいじっては社会に鋭いメスを入れた

気分になるっていう、社会派を気取ったただの悪趣味みたいなノリがあった。

それは「ガチの人」を横から見て面白がったり悟ったりする第三者の視点であって、

結果的に皮肉にも「サブカル系」というかなり煮詰まった世界が出来上がったわけだ。

 

そう考えると、オタクとサブカルは作品への態度が真逆で、

オタクは信者となって理想化した作品やキャラを崇め奉り、ジャンルにいかに自分が

貢献するかという自己救済のために必死にオタ活していると言える。

一方でサブカルはより多くの知識を得ることで自分の存在を高め、好きな作品を

増やすことで自分の世界を作ろうとしているという点で神に近い、とも言えそうだ。

 

まぁ「オタク」の定義次第でこういう推測はかんたんに崩れ去るんだけど。

あと私はこれで言うと完全にサブカル女に属している。恥ずかしい。