「カップリングは宗教」

腐女子にとってカップリングは宗教らしい。

 

今まであまり深く考えてなかったけど、こないだ「地雷とは何なのか」について

娘と話してるうちに「あっ、ほんとに宗教だな!」と感動したので

ちょっと書いておく。

 

CPは宗教、地雷CPは邪教

私は以前から、おもに腐女子が言う「地雷」という言葉が気になっている。

そして私はどんなに自分の経験を洗いざらい振り返っても、

どうしてもこの「地雷」という感覚が分からない。

 

なんせ腐女子によると、地雷とは見た瞬間から動悸吐き気が止まらなくなり

2~3日寝込んだり体調を崩すほどのダメージを受けるものらしいのだ。

そして「苦手とか嫌いとかのレベルじゃなく、食べ物で言ったらアレルギー反応

に近いらしい。

 

そこで娘(腐女子)に聞いてみたのだ。あんたは地雷があるのか?と。

そしたら「無い」と言ってから「無い…つもりだけど…ちょっと苦手なカプはある…」

とブツブツ言い始めたので詳しく聞いてみた。

 

垢バレしたくないらしく具体的なキャラ名を伏せてきたのでざっくり言うと

娘は某イケメンアイドル育成系アプリのA×Bというカップリングにハマっている。

そしてそのA×Bは公式で腐媚びも甚だしい露骨なエピソードがあり、

娘としてはどう考えてもA×Bが公式CPに最も近いんだけれども、なぜか巷では

C×Aというライバルをくっつけたカップリングを推してる人が多い。

このC×Aとそのファンが気に入らないらしい。

 

なるほど、それはかなり「地雷」に近そうだ。

 

そんな娘に、私が思いつく「地雷に近そうなもの」をぶつけてみた。

 

「うっかりグロ系の漫画を読んだ時の気分」

これは多分違うんだろうな。多少ダメージは受けるけど、そもそも腐女子

そういうものとは根本的に別次元だってよく力説してるから。

 

じゃあ「不妊の人が子供の話された時の気分」これどう?

かなり近いんじゃないの?ていうか世間的にはこういうのが地雷でしょ?

…と聞くと娘は「それは持たざる者の怒りでしょ?」と言ってきた。

 

確かに。C×Aが地雷の腐女子はC×Aを欲してるわけじゃなく、憎んでるんだよね。

 

じゃあこれはどうだ。「負け続けてる時の阪神ファンの気持ち」

近くない? …ああそう近くないのね。

 

うーん。そもそもなんでそんなにCAが憎いの?

だって他人の妄想、パロディでしかないんでしょ?

 

そこで娘が言った。カップリングは宗教だから」

… … はっ!分かった!

 

つまり世界(=公式)の分からない部分、見えない部分を神話(=妄想)によって

説明、理解しようとするのが宗教(=カップリング)なのだとすれば、

別の宗教(=他CP)は邪教であり私の世界にあってはならない存在なのだ。

それが地雷なわけだ。…こうか!

 

 

宗教戦争だから相手を根絶やしにするまで終わらない

今まで私は「二次創作なんて個人の妄想なんだから色々あるのが当たり前では?」

「二次創作してる時点でお互い様でしょ?」と単純に考えていた。

「ジャンル者・CP者ばかり気にして原作者も一般人も二の次にする奴らは何なの?」

とも思っていた。

でも「宗教だから」と考えればすべて納得いくのだ。

 

カップリング宗教”に入ってる人にとって、敵対CPの二次創作は邪教の経典であり

敵対CP者はその邪教を広めて回る悪魔の手下なんだろう。

そう考えるとあの激しい地雷叩きが理解できる。

  

私は昔、ためしにエホバの証人の王国会館(エホバは教会とは呼ばない)に

行って話を聞いてきたことがあるけど、そこでは日本という国は

悪魔に心を蝕まれたヤバい人たちだらけの国という扱いになっていた。

だから世の中全員エホバに入るまで勧誘を続けるらしい。

まぁどこまで本気か知らないけど。

 

カップリング宗教”に入信した人の目にもそう見えてるのかもしれない。

つまり外野から見れば目糞鼻糞…お互い様の同類なんだけれども

本人たちにとっては「こっちが正義であっちが悪」なのかもしれない。

 

 

 

歴史的事実ではないからこそ宗教たりえる

カップリングは宗教」と考えると、私の長年の疑問がひとつ解ける。

 

二次創作界隈(とくに腐向け)を見てると、どうも公式と妄想の区別が

つかなくなってるというか、ネタなのか本気なのか判別がつかない発言が多い。

 

腐女子はひんぱんに漫画・アニメの「そういう目で見ればそういう風にも見える」

シーンだけを切り集めて「もう付き合ってるよね?」「結婚する日も近い」

「このシーンとこのシーンの間に2~3回ヤってる」などと囃し立てる。

それでいて、おそ松さんやFree!みたいに外野から「腐向けアニメ」「腐女子しか

見てない」などと言われると「一般作品ですが?」と反論する。

このダブルスタンダードは一体なんなんだろう。

  

しかも公式があまりに大きな逆燃料を投下すると砂かけしてジャンル撤退する

腐女子が続出する。

かつて「ナルトとサスケが付き合ってないなんてどこにも書いてない」と力説してた

腐女子がラストで敗北して大移動してるの見たけど、だいたいジャンプ漫画の時点で

分かるだろと。それとも本気で信じてたの?

逆におそ松さんみたいに公式があまりにBL臭い燃料を投下してしまっても、

なぜか急激に萎えて腐女子が一気に去ったりする。これは一体どういうことなのか。

 

考えてみれば宗教は世界がないと存在できない

 

宗教は世界に意味を与える。

そして人は宗教によって救われはしても、宗教の中で生きることはできない。

生を全うするのは世界の中であって、世界は不条理で満ちている。

 

 例えばもし今、イエスが復活して大勢の前に現れたり

弥勒菩薩がやって来たりすれば、それはもう歴史的事実であって宗教なんていう

枠は吹き飛び、世界中の科学者がどういう原理でそれが起きたのか研究するはずだ。

そしてゆくゆくは科学的に証明されるんだろう。(まぁ多分ないけど)

それはもう信じる信じないの問題じゃくなり、信仰の価値も消え去るかもしれない。

 

つまり世界に未解明な部分があるからこそ宗教は存在できる

だから公式(=世界)が「これはBL作品ですよ」「腐向けですよ」

「公式はA×Bを推奨していますよ」とはっきり提示してしまうと、それはもう

歴史的事実と同じ状態になり、CP(=宗教)が生まれる余地がなくなるわけだ。

腐女子がBL作品で二次創作しないのもそういう事情なのかもしれない。

 

 

 

「公式が地雷」はグノーシス主義

腐女子が言いがちで、つくづく嫌いなセリフにこの「公式が地雷」がある。

「公式と解釈違い」ってのもある。

 

これを「世界が地雷」「世界と解釈違い」と言い換えてみると、

ものの見事にグノーシス主義だ。

 

一応説明するとグノーシス主義ってのはいくつかの宗教、宗派、思想の総称で

宇宙には善の神と悪の神がいて、この世界は悪の神に支配されているという

”反宇宙的二元論”が大きな特徴だ。

具体的に言えばマニ教とかヴァレンティノス派、カタリ派などだ。

 

もうちょっと説明してみる。

公式(=世界)を自分なりのカップリング(=宗教)で読み解くことで

ジャンルへの帰属意識(=信仰心)を貫いてきた腐女子が、

突然の逆燃料、敵対CP優遇、推しCPのあるまじきエピソード投下によって

急激に公式(=世界)に嫌気がさし、憎み始める。これが「公式が地雷」状態だ。

そして公式(=世界)は実は悪である、糞作品である、こんな公式(=世界)に

縛られてる自CPが可哀想、ほんとの幸せな世界(=真理)に導いてあげなきゃ!

 

… こんな感じか。

 

こう考えると心底驚くんだけど、「公式が地雷」状態の腐女子にとって

キャラクターって公式と切り離せるんだね。

私、原作厨だからその感覚が分からないんだけど。

 

 

 

 

二次創作頼みのコンテンツは荒れやすい

スマホ普及でソシャゲやSNSが爆発的に浸透してからというもの、

オタクコンテンツがどんどん二次創作頼みになってきているのを感じる。

 

これは私が思ってるだけだけど、女性向けで「イケメン見本市みたいな作品」って

刀剣乱舞がハシリじゃないかと思う。

いや、異論はあると思う。でも「キャラだけ量産」しつつ「具体的なストーリーや

エピソードはあえて作らずに」「ファンの二次創作で燃料補給することで」

低コストで長寿コンテンツにするっていう、東方みたいなビジネスモデルを

目指した(と思われる)作品で、女性向けで最初に当たったのは刀剣乱舞のような

気がする。まぁヘタリアも近いか?

 

そして刀剣乱舞が初期から面白いくらい炎上と学級会を繰り返したことは

けして偶然ではなくて、女性向けでこのビジネスモデルは難しいと早々に

露呈したんじゃないかと私は勝手に思っている。そしてヘタリアも荒れた。

 

ここにさんざん書いてきた「カップリングは宗教」って現象自体が

ほぼほぼ女性向け(主に腐向け)二次創作にしか当てはまらない事を考えても

こういうイケメン見本市が荒れるのは宗教化しやすいからじゃないかと思う。

 

上にも書いた通りで、宗教は世界に未解明な部分があるからこそ存在できる。

 

キャラクターは全力で魅力的に作り上げておいて

エピソードを描き過ぎないのは二次創作を盛り上がらせるセオリーでもある。

男性向けはそれで済むけど、女性向けはカップリングごとに宗教化するから

争いが激しくなり、また公式がちょっとでも二次創作を否定すると、

あるいは逆に汲み取り過ぎると、世界と信仰のバランスが崩れて暴動が起きる。

このタイプの作品の難しさは、公式とユーザーの距離が近すぎて

ユーザーのニーズに応えざるを得ない点だと思う。

  

なんにしろ、もしこの先大ヒット作品が出ても間違いなくまた焼け野原になると

私は推測する。

 

 

 

神はどこにいる?

ここまで書いてきて、どうしても分からないことがひとつある。

 

神は…?

カップリングが宗教で作品が世界なら、神は何に該当するんだろう?

 

原作厨の私にとっては単純で、神=作者だ。

だからもし作者があとがきで「僕の中ではこいつとこいつが10年後に結婚する」

と言ったら、私としてはもう「どうやら10年後に結婚するらしい」となる。

作者がそうだと言ったらそうなのであって、私がどんなに妄想や考察で

あじゃないか、こうじゃないかと思いめぐらしたところでどうにもならない。

 

むしろ「10年後に結婚するという前提でもっかい読んでみる」ことに

楽しみがシフトする。

まぁ私は作者を崇拝するわけじゃないけど、作品という宇宙を作ったのが

誰かと言ったら、やっぱり作者だと思う。

 

カップリング宗教の信者にとって神は一体何なのか。

原作者や公式ではなさそうだ。でなきゃ「公式が地雷」とはならない。

 

いや。

グノーシスで言えばこの場合の公式(=世界)は悪神であって

その向こうに善なる神、宇宙の真理が存在している。

こういう時の腐女子の行動から考えると、どうも真の神は公式ではなく

推しCPが真に安らかに結ばれる空間にのみ存在しているってことになる。

 

まぁ腐界隈で「神」と言えばジャンルの神、つまり素晴らしい二次創作を描く

同人作家なわけで、カップリング信者にとっての神は彼らなのかも。