腐カオス説

※昔ヤフーブログに書いていた日記を推敲・移動しています

 

腐女子はなぜ腐女子になってしまうのか?を色々考えてる中で

私が思いついた説のひとつを、「腐カオス説」と勝手に名付けた。

 

ざっくり説明すると、BLは男女の境界をいったん取り払う事で

興奮を得ているんじゃないか?という説だ。

 

これは「タブーの謎を解く」という本を読んでいて、もしかしたらこの理論で

BLも説明できる?と思ったのがきっかけだ。

 

 

境界上にカオスがある

創世記の冒頭の天地創造のくだりは、神がカオスから光と闇を分け、

空や海、草や木、動物たちなどを次々と分ける事で秩序を生み出していく様子が

描かれている。これは人間が分類によって世界を把握するさまを表してると

よく言われる。

例えば夜空に広がる無数の星を、人は星座というグループに分けて把握してきた。

 

分類ってのは人間の本能みたいなもので、言語でものを考える性質上、

考える対象には名前を付けなきゃいけない。だから対象に輪郭を持たすために

人は境界線を引いて分類する。

例えば昼と夜は、太陽が出てたら昼。沈んでたら夜。かんたんだ。

…しかし、日の出と日没の瞬間はどうしたらいいだろう。

この境界上のどっちつかずの存在が、人間を悩ませ怯えさせる。

なぜなら境界上の存在は分類できない。カオスそのものだからだ。

 

もうちょっと説明してみる。

 西洋の悪魔は両性具有だ。マルセイユタロットの「悪魔」を貼ってみる。

 

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出典:ANCIENT TAROT OF MARSEILLES ©Lo scarabeo.Torino

 

まぁ見なくても知ってるって言われるかもしれないけど、悪魔って

両性具有なだけじゃなく、コウモリの羽根やヤギの足、ツノなどが付いてることが

多い。 これはもう男女どころか、色々な境界にまたがったザ・カオスみたいな姿だ。

 なんで天使とちがって悪魔はコウモリの羽根が多いのかというと

恐らくコウモリが哺乳類のくせに翼で飛ぶという、鳥類との境界上のような

特徴があるせいだ。境界上にあるものはカオス的な存在だからタブー視される。

タブー視されたコウモリは、異常な存在、危険な存在として食べることを禁じられたり

悪魔の背中に付いたりするわけだ。

ちなみに仏像は、男性に見えるけど「男でも女でもない」らしい。

 

世界中にあるタブーを文化人類学的に説明すると、こういう風に境界上の要素を

持ってるものが危険視あるいは神聖視されて特殊な扱いを受けるという事らしい。

 

 話がかなりそれてきた感じがするけど、一応関係ある(と思う)ので

もうちょっと説明する。

 

こうやって安全に生活できるようになった人間だけど、

あまりに秩序だった世界だと、だんだん生命力が枯渇してくる。

だから、たまにカオスに足を突っ込んでエネルギーを得ようとすることがある。

 昔からあるお祭りで異様にエネルギッシュなやつ、けんか祭りとかだんじり

みたいなやつは、多分ハレの日特有のカオスによってああいう事になる。

(祭りの日は神域と生活域の境界上に位置するから)

ハレの日にあれをやることでケ(日常)の秩序が守られるわけだ。

そう考えると、成人式にヤンキーが荒れるのは人間の本能のような気もしてくる。

なんせ成人式ってのは子供と大人の境界上にあるハレの日なのだ。

 

境界上のファンタジー

ここまで書くと、もう私が言いたい事は大体伝わってると思うんだけど

一応説明してみる。

 

特殊嗜好と言われるジャンルを見渡すと、何かしらの境界上にあるものが多い。

BL、百合、ふたなり、TSF(性別転換)、男の娘など、男女の境界上にあるものは

その代表だ。

他にもケモノ、エルフ、人外、異形頭、アンドロイドなど、別の種や無機物との

境界上にあるものも多い。

あるいは近親相姦や獣姦のように、お互いの関係が境界上なものもある。

  

特殊嗜好から離れて、創作物全体を見渡してもカオスはあちこちにあって、

例えばラノベ系で流行った異世界ものもオルフェウス神話的な越境がある。

 

仮面ライダーなんかわざわざ「変身」と宣言して、体は悪の組織の改造人間、

脳は善良な人間という境界上の姿になることで超人パワーを得るわけだから

もう典型的なカオス的存在だ。そしてこの「変身」と「怪人とのハイブリッド」

という要素が平成になってもずっと受け継がれたのは偶然じゃないはずだ。

(バイクには乗らなくなってきたのに)

 

また境界上の存在は神聖化されやすい反面

不気味だとか不吉、気持ち悪いという印象を与えやすい。 

境界上のジャンルも外野からはキモい、理解不能と叩かれやすい。

 

TSF、ふたなりと較べてみる

BLは、イケメンを男女の境界上に置く事で興奮を得てるんじゃないか?

と推測したわけだけど、本当にこれで私の疑問が解けるんだろうか?

腐女子に特有なこと

とりあえずTSFやふたなりといった、BLと微妙に似たジャンルと較べてみる。

 

やおい穴装備した受けってのは、考えてみるとふたなり美少女の

ちょうど反対というか鏡写しになっていて、共通点が色々ありそうだ。

どちらも、読者から見て性対象のキャラが、自分と同じ性器を付けている。

 

考えてみると、これは非常に理にかなった姿だ。

例えば男性向けの一般的な男女のエロ漫画を見ると、視覚的には女の子を描写しつつも

体感的には射精を表現しなければいけないという矛盾を抱えていて

結果的に「射精の勢いで女の子がイく」という

謎に満ちたエロシーンが展開されていることが多い。

しかし、ふたなり美少女はこの矛盾をたやすく解決してくれる。

 

つまり「自分の身体感覚を性対象に代弁させる」システムとして

ふたなりやBLの受けは都合がいい。

 

TSFにはその逆の効果があって、多くの場合、男性向けTSFは

男が美少女に変身し、体の感触や、美少女から見える世界を

困惑や失敗を交えながら「男目線で」報告してくれる。

(おっぱいを触ってみる、トイレに行く、スカートをはくなど)

つまり「性対象の身体感覚を自分が疑似体験する」システムとして

TSFは重宝される。

 

BLにも女体化がたくさんあるから、男性向けTSFと似た効果を

発揮している… …のかなと思って女体化BLを見回してみると、

驚くほどTSFとは内容が違っている。

 

 

女体化BLのほとんどは単なる「受けが女の子だったら設定」

であって、そもそも「元は男だった」という設定すら消え去っている。

ひたすら身も心も可愛い女の子となった受けが描かれるのだ。

だから男目線で女の身体や女社会を報告するような描写は、まず無い。

  

恐らく、TSFとBLは別ものなんだろう。

だいいち、男性向けのTSFも男→女、腐向け女体化も男→女だから

鏡写しになっていない。

 

ただ、もしかするとふたなりとBLは、似たものかもしれない。

ふたなりBLが少ない理由も、よく「やおい穴で事足りるから」と言われてるし

BLの一部はふたなりに酷似していると言っていいような気がする。

オメガバースなど)

とはいえ違いも多々あって、ふたなりはキャラ単体もあれば男×ふたなり

ふたなり×ふたなりふたなり×女と、あらゆる組み合わせがあるのに対し

BLはなぜか必ず攻め×受けになっている。

 

女装させたい心理

話が変わるけど、女は男性タレントの女装を妙に喜ぶ。なぜだろう。

一方で男は女性タレントの男装をあまり好まないように見える。

生駒ちゃんも昔、事務所から男装を禁止されていたと言っていた。

考えたら宝塚や男装コスプレイヤーのファンも女性が大半で、

歌舞伎の女形とかオカマタレントやジェンダーレス男子も女が好む。

前におすぎとピーコが「女はオカマを仲間のように思ってるがこっちは思ってない」

的なことを言ってたけど、女はこういう性の境界上の存在に妙に親しみを抱く

傾向がある。

 

これがなぜなのかは分からないけれど、ともかく腐女子の異様な多さに対して

百合好きの男が少ない事、BLの受けは多かれ少なかれメス化しているのに

 百合の女キャラはオス化(ふたなり化など)する例が少ないことの

理由は境界のものに対する反応の男女差だと思う。

 

そしてBL女体化は、どっちかというとこの「イケメンを女装させたい」女の願望に

近いものかもしれない。

  

腐カオス説で攻め受けを説明できるか?

前にも書いたけど、「腐女子はなぜ腐女子になってしまうのか」を考える時、

この「攻め受け」の必要性が説明できないと私は納得できない。

 

単に男女の境界上の存在にして萌えを得ようとするだけなら

攻め・受けという役割分担が必要ないはず。

例えば受けだらけのイケメン動物園みたいなものを作るんでもいいのでは?と思える。

 

しかし前にも書いたけど、攻め受けのないBLは存在しない。(多分)

半月くらい考えてみたけど、これを腐カオス説で説明するのは無理だった。

これについてはもうしばらく考えてみることにする。

 

地雷は説明できるか?

境界にまたがる事象には、タブーや独特の儀式が生まれやすい。

だから結婚式は白装束に角隠しを身に付けるし、年越しには家に松飾りを付けて

結界を張ったりする。

 

腐女子が言う地雷は、タブーと同じものなんだろうか?

例えば腐女子はよくBLの良さを語る時に「同性愛ゆえに悩んだり背徳的な感じがいい」

とか言う。じっさい同性愛は古今東西でタブーと見なされて弾圧を受けてきたし

容認されているはずの今の時代でも、なんとなく後ろ暗いイメージを持つ人が

多いのは男女の垣根を超える行為だからだ。(境界の理論で言えば)

 

腐女子にとっての地雷は、絶対に見たくない、見たらショックで寝込むほどの

ものらしい。この感覚はタブーを侵した人間の反応に似ている気がする。

例えば猫の肉をそうと知らずに食べてしまったら、ショックで寝込むかもしれない。

きょうだいと勢いでセックスしたら、後ろめたさに苦しむかもしれない。

これがタブーを侵すショックだ。

 

じゃあ境界にまたがってると思われるオタクジャンルに、同じようなタブーや 

地雷持ちが多いかというと、そうでもない気がする。

ふたなり好きなんか、見てると「玉ありか、なしか」で殺す勢いで論争して

いることはあるが、「玉ありを見てしまったショックで寝込んだ」とか

「玉ありかなしかを注意書きするべき」とか言ってるのは見たことがない。

 

それに腐女子の言う地雷のほとんどはカップリングであって、

やはり腐女子以外に同じような習性を持ったオタクジャンルは見当たらない。

腐女子の地雷は、腐カオス説では説明できないような気がする。

 

LGBTとの親和性は説明できるか?

これは多少いけそうな気がする。

 

境界上の存在ってのは非日常の存在、異質な存在であり、常人には無い能力や

運命を背負っていることが多い。

例えば安倍晴明は人間と白狐の子供だと言われる。これは後付け設定だろうけど

特殊能力者だから出自もカオス的にちがいない、となるわけだ。

スーパーサイヤ人が地球人とのハイブリッドの方が強いってのも似ている。

 

例えば2chの有名なネタで「邪気眼」というのがあるけど、あの男性は中学時代に

”人ならざる存在に寄生されて特殊能力を得てしまった俺”という設定になりきって

生きてたわけで、これはまさに人と怪物の境界上の存在への憧れから生まれた妄想だ。

 

エルサレム症候群というのがあって、エルサレムに巡礼に行った人の中には稀に

自分が預言者や聖人(の生まれ変わり)だと信じ込んでしまう事があるらしい。

預言者というのは神と人類を仲介する、境界上の存在なわけだ。

 

もうちょっと一般的な例をあげてみる。

小さい頃に「自分は捨て子なんじゃないか」「この家の子じゃないのでは」という

妄想を抱いた人は多いらしい。これも「うち」と「よそ」という境界をまたいで

来た存在かもしれないという憧れと不安の表れだ。

 

そしてLGBTも性の境界上の存在だからソドムとゴモラの時代から迫害を受けたり

好奇の目に晒されてきたわけで、腐女子がBLを漁るうちに自分自身もマイノリティ

だと思い込んでしまう可能性はあると思う。

 

また女は誰でも、思春期には女らしさとか性的なことに違和感とか拒否感を

抱きやすい。そういうつまづきも含めて女あるあるだと思うんだけど、その時に

「私は普通じゃない」「周りとは違う」と思いそうになるのはちょっと理解できる。

 

まぁ全員がそうだって言いたいわけではないが。

 

カオス系腐女子

 「腐カオス説」についてダラダラ考えてきて、やはりこの説では

腐女子の生態のごく一部しか説明できないと思った。

 

とはいえ、腐女子とひとくちに言っても色々なタイプがいて、私の推測だけど

「腐カオス説」に当てはまるようなタイプの腐女子も、少数派ながら

いるような気がしている。

ちょっと特徴をあげてみる。

これが半分くらい当てはまってて、恐らく二次創作界隈では嫌われるタイプ。

 

そして以下のタイプは多分カオス系腐女子ではない、別のタイプ。

  • 腐向け二次創作を好み商業BLを好まない
  • 固定派、地雷持ち。色々と繊細
  • 女体化好き

 

「腐カオス説」についてはもうちょっと考えてみる。