腐投影説

 

※昔ヤフーブログに書いた日記を推敲・移動しています

 

腐女子はなぜ腐女子になってしまうのか?」について

今のところ投影(投射)で考えるのが一番しっくり来る。

これを「腐投影説」と勝手に名付けて説明してみる。

 

性欲を抑圧→受けに投影?
ざっくり説明すると、こうだ。
まず腐女子は思春期に異性への性欲を抑圧し、無意識に追いやってしまう。
これによって自己認識としては「性欲なんて無い」となるが
自覚が無くなってるだけで、性欲自体はある。
で、アニメなどを見ていてイケメンキャラに性的興奮を感じた瞬間に
あるはずのない性欲に襲われ混乱し、とっさに
その感情をキャラに投影してしまう。
 
まぁこれだけなんだけど
「はぁ?」と思った人のために、もうちょっと説明してみる。
 
 
 
投影と自己投影は違う
 「投影」ってのは、自分の中に湧いた受け入れがたい感情や衝動を
別の誰かが抱いているものだ、と思い込んでしまう現象だ。
例えば自分の浮気願望を認めたくない人ほど恋人の浮気を疑うとか、そんなやつ。
  
よく腐女子や夢女子が「キャラに自己投影してる・してない」で叩き合うけど
あれは全く別ものだ。 
 (自己投影については→女オタクが言う「自己投影」とは何なのか
 
 
 
腐女子はだいたい思春期に目覚める
 この説を考えた理由がいくつかある。
そのひとつが、腐女子の大半が高学年~中高生あたり、
つまり思春期に腐に目覚める点だ。
そして大人になるうちに卒業する人も多い。
 
思春期は、異性に向かって性的な感情を持ち始める時期だ。
 
これは一部の女子にとってはなかなか受け入れにくい。
 
女子は性欲を外に出してはいけないという心理的ブレーキがかかっている。
これはほぼ本能だと思う。
 
かなりの哺乳類が、オスが積極的に求愛活動してメスは見定める側だし
色々なサルの行動を見ててもこれはもう宿命なんじゃないかと思う。
 
それに男子の性欲の発散方法はわりと確立していて
エロ本もあるし少年漫画にもお色気シーンがよくある。
下ネタや下品な発言も男子ならある程度許される。
 
女子のための娯楽は少女漫画やファッションなど、
性欲のままではなく恋愛などに昇華されたものが大半だ。
これらは自分が女であることを受け入れてないと楽しみようがない。
 
女子は、湧いた性欲を即座に恋愛感情に昇華させながら、社会的に
好ましい女子像に速やかに合流していかなければいけない。
これは親や社会から強制されるというよりは、女子が自発的に
そうならなければいけない、と思い込んでいるような気がする。
 
そして性欲を抑圧しすぎると、リアル恋愛どころか
可愛い服を着たり化粧をしたり、ラブストーリーにも嫌悪を感じ始める。
抑圧よりも昇華の方が高度な対応なのだ。
 
 
結果、「女」につまづいてしまったタイプの女子は、
性欲を発散できないまま足踏みをすることになる。
そこで仕方なく「性欲なんてない」ことにして無意識に追いやり、
おしゃれや恋愛ものに背を向け、少年漫画などを漁るようになる。
 
  
 
キャラへの性衝動を受けに投影
 
腐女子が決まって少年漫画を見ているのには、ちゃんと理由がある。
少女漫画が女っぽくて受け入れにくいのに対して、児童でも読める
少年漫画はハードルが低いというのももちろんあるけど、
何よりイケメンがたくさん出てくるのだ。
さっきも書いたけど、性欲は抑圧してるだけでちゃんとあるので、
性対象である男性にはめっちゃ興味がある。でも女は見たくない。
だからジャンプを読むわけだ。
 
ただ、この時点では腐目線で見ているわけではない。
ある瞬間に突然目覚めるのだ。
 
それはキャラに性的興奮した瞬間で、この時、腐女子の中では
「ない」としたはずの性欲が湧きあがる。これが受け入れられない。
とっさに投影が起き、自分が今感じた性的興奮は、このイケメンキャラが
発しているものだ、と認識してしまう。
 
 …と書くといまいち分かりにくいので、もうちょっと噛み砕くと
 
女っぽい趣味が苦手→ジャンプを読む→男キャラに激しい萌えが湧く
→でも自分がそのキャラと付き合いたいと考えると激しい嫌悪に襲われる
→この性衝動はキャラが発しているものであって私とは無関係だと思い込む
…って感じだ。
 
受けに投影されるのは「女」としての性欲
 そういうわけで、女子はこの妙に性的に映るイケメンを「受け」と名付け
「攻め×受け」の恋愛妄想にふけることになる。
 
なんでイケメンに欲情したのに、そのイケメンと自分で妄想しないの?
と普通の人なら思うところだが、さっきも書いたように、腐女子
自分の性欲を抑圧してしまってるので、それはあってはならない。
 
それに「受け」に投影されているのは、けして「理想の彼氏像」ではなく
自分自身の女としての性衝動なのだ。
だから、この「受け」は男と恋愛しなくてはいけない。
女としての欲求を叶えるのが「受け」なのだ。
これがBLというわけだ。
 
まぁ私の仮説だけど。てかとっくに言われてる気がしてきた。
 
 

攻め・受けのないBLは存在しない
 前々から不思議でしょうがなかった事のひとつに、
「なぜBLには必ず攻め・受けがあるのか?」というのがある。
 
百合だと、攻め・受けのないものも多い。
漠然と男役、女役があるものでも、タグは一緒くたのケースが多く、
百合オタが攻め受けにあまりこだわっていないことが分かる。
 
「精神的百合」とか言われるように、百合が目指すものはレズビアンじゃなく
友情の延長、あるいは混同なんだろう。
レズプレイありのガチ百合でも、攻め受けが無いものもある。
それに対してBLは、挿入しなくても攻め・受けがはっきりしていて
しかもそれを表記する必要がある。
 
 
これは「腐女子は必ず攻め受けを決める」というよりも
攻め受けがBLの本質」と考えた方がいい気がしてくる。
 
で、前に考えた「カオス説」だと、どうしてもこの攻め受けが説明できない。
 
それに対してこの「投影説」だと、腐萌えの根底にあるのは投影であって
「女性としての性欲を投影された受け」を中心に置き、それを成就させるために
周囲に攻めが配置されると考えると、なんだか納得できそうな気がしてくる。
 
 
BLを見ていると、総受けやモブ姦がやたら多い。
総受けじゃなくても、一人の腐女子が複数のカップリングを好む時に
受け固定でAB、CB、DB…となってることが多い。
これも受けが中心にある投影説で考えるとしっくり来る。
 
 
 商業BLより腐向け二次創作が盛り上がることは説明できるか?
これは「腐投影説」だとうまく説明できる気がする。
第一に腐女子は女性としての性欲とか恋愛感情を抑圧しているから
ボーイズ「ラブ」な時点でかなりハードルが上がるんだろう。
元がスポーツやバトルで恋愛要素が薄い作品を腐女子が好むことも
それを物語っている。
 
 
それに投影というステップがあった方が、自己の性欲を直視せずに済むんだろう。
腐女子は性欲を投影して、自分とは切り離されたキャラ同志の乳繰り合いを妄想し
「周りの空気になって眺める」ことで、初めて安全に性欲を満たせるのだ。
 
そう考えると、おそ松腐女子があれだけ一カラが公式だと叫んでおきながら
「腐向けじゃない一般アニメだ!」と言い張ってたのも納得できる。
 
 
腐妄想の幅が異様に広いことは説明できるか?
これもわりと簡単に説明できる。
腐女子は常に性欲を抑圧して目をそらしているから、
日常の中でキュンと来たり好きだと思った瞬間に拒否感に襲われ
そのたびに自分を守るために投影で対処する癖が付いてしまうんだろう。
 
つまり妄想さえ鍛えれば
ちょっとでも萌えを感じたものは、もれなく腐変換できる。
 
LGBTとの親和性は説明できるか?
これはちょっと難しい。
でも抑圧と考えれば説明できそうな気がする。
 
本来、腐女子は「女」を受け入れる所で足踏みしてはいたけれど、
イケメンに興奮したのだからノーマルな女であるはずだ。
なのに、バイセクシャルアセクシャルを自称する腐女子が絶えない。
 
腐女子はもともと女としての性欲を抑圧しているので、腐女子の中では
「男女の恋愛には萌えないのに、同性愛だとこんなに萌える」
イコール「私は同性愛者かもしれない」という錯覚が起きる。
 
もともと百合に抵抗のない腐女子だと「じっさい百合もイケる」
イコール「やっぱりバイセクシャルなのかもしれない」となるわけだ。
 
抑圧と投影で「誰に対しても欲情しない」と強く思い込んでる腐女子だと、
アセクシャルを自称し始める。
 
キャラ萌え、カップリング萌えしてる時点でおかしいと思うんだけど
意味不明すぎて私にはここまでしか推測できない。
 
 
 学級会、ルールの多さは説明できるか?
 
これはちょっと難しいかもしれないけど書いてみる。
 
腐女子には隠れるべき論者が多い。
そして自分だけ好きに隠れていれば良さそうなものだが、周りの腐女子にまで
「隠れろ、移動しろ、鍵をかけろ」と注意喚起して回ったりする。
 
 
それに腐女子の「マナー」は独特で、隠れてると言ってもワンクッション入れるだけ、
タグ付けただけ、伏字にしただけでtwitterのオープン垢で堂々エロ妄想していたり
外野にまで腐女子のルールを押し付けてきたりと、逆に目立ってるように見える。
 
 
これは多分、普段抑圧してるせいでオンとオフが分裂してるというか、
お堅い職業ほど飲むとひどいって話と同じようなメカニズムなんじゃないかと思う。
そして抑圧してるから「周りから見えてるわけがない(見えてるなんて信じない)」
と無意識に思ってるんじゃなかろうか。
 
もうひとつ、地雷持ちの多さも腐女子の特徴だと思うけど
地雷ってのもはたから見るとコンプレックスそのもので、
防衛機制のデパートみたいな腐女子の生態から考えると私はしっくり来る。
 
※コンプレックスってのはよく言われる劣等感という意味じゃなく、
感情複合のことで、例えば「AB以外は認めない、ABが公式である」という願望と
「ABは私の空想・願望でしかない」「周りがCBを推している」という絶望や
怒りが絡み合って自力解決できない状態という意味で使ってます。
 
 
 
麻痺しているから羞恥心が薄い?
 
なぜ腐女子は人前で堂々とエロトークをするのか?
なぜ腐趣味をステータスのように思っているのか?
 
これも投影説だと、なんだか納得できる。
 
腐向け二次創作ってのは、抑圧と投影によって、極限まで自分の性欲を
他者になすり付けるシステムだとも言える。
これのお陰で、腐女子はエロ妄想をしていながら、「性欲は無い」と
錯覚することができる。
 
いや無理でしょ、と思えてならないけど、腐女子はひんぱんに
「男性向けみたいなエロありきの同人とは違う」とか
「関係性に萌えるのであって・・・」と熱弁する。
 
自分と性欲を切り離し、キャラに性欲を丸投げすることで
腐女子は傍観者になることができる。
仮にエロ小説書いてても、それは「あまりに性的な攻めと受け」が
容易に想像させる結果だから私の性欲じゃない、と思えてしまう。
 
・・・って事なのかなと推測する。
 
一方でやたら羞恥心の強い腐女子もいて、例えばうちの娘も
「学校で友達が腐発言をするのが耐えられない」と言ったり、
テレビで腐女子が話題にされるたびに悶絶している。
 
そのくせtwitterの腐垢で何の抵抗もなく下ネタ呟くのだ。
 
 
 
 
結論:「腐投影説」は腐向け二次創作については有用
「腐投影説」で色々と腐女子の生態について考えてみると、
前に書いた「腐カオス説」よりもかなり優秀というか、いい感じに
説明できた気がする。
 
とはいえ商業BLについてはいまいちうまく説明できない。
 
前々から思ってたんだけど、同じ腐女子でも二次創作系と商業BL系では
どうも生態がちょっと違うような気がする。
商業BL系にはカオス説の方がしっくり来るかもしれない。

「解釈違い」がオタク全般用語になってしまった

今年に入ってから

私の嫌いな「解釈違い」という言葉をあちこちで見かけるようになってきた。

 

この理由は明らかで、去年ヒプマイのコミカライズが炎上し

「解釈違い」がtwitterのトレンド入りしたのだった。

 そして、恐らく初めて「解釈違い」なる言葉を知った様々なオタクが

自分の知っている「解釈違い」を嬉々として披露し合っていた。

それが2018年の暮れだ。

 

こないだ、ネットで仮面ライダージオウのキバ編の感想見てたら

案の定「まさに公式と解釈違いだわ」とか言ってる特オタがちらほらいて

腐女子かよ!と内心引いたのだった。

 

「解釈違い」は元は腐女子用語

オタク用語としての「解釈違い」は、元々は腐女子用語、かつ同人用語だ。

キャラ設定やストーリーの解釈が人によって違う。その結果、他人の二次創作に

出てくる推しキャラが別人のようになる。それが受け入れられない。

そんな時に腐女子は「解釈違い」という言葉を使う。

 

ネット上でなるべく古い「解釈違い」の話題を探してみたけど

一般的な「解釈違い」(例えば「適当に買ってきて」が本当にテキトーでいいのか

適切なものを買ってこいという高度な要求なのか、みたいな)と混在してるので

なかなか探すのが難しい。

 

 twitterで「公式と解釈違い」で探すと、残ってるのは一番古くて2012年。

2013年くらいまでは非常に少なく、ほぼ腐女子がつぶやいている。

それが2014~15年から一気に増えている。

と同時に「初めて聞いた」「何それ」「最近流行りの」

と言ってる人が多いので、多分2015年頃から普及したんだろう。

 

2chではもっと前から見かけたような気もする。

 

同人板などで「解釈違い」と使われる時はたいがいこんな状況だった。

自カプ(腐女子が言う、腐活動の拠点にしているカップリングのこと)の

二次創作が 好みじゃない。自分が思うABはそんなじゃない。

自分の二次創作がなんだか浮いている。交流しても趣味が合わず、

キャラについて語り合っても脳内設定が違いすぎてイライラする。

見てるとそんな感じだ。

 

つまり「せっかく同カプ者なのに趣味が合わない」って状況だ。

 

「公式と解釈違い」となるともう公式への恨みつらみでしかなく、

「同人(≒私)の方がむしろ深い解釈してる」という公式批判もうっすら感じる。

 

 

業の深さ

解釈違いについて検索してて出てきたブログ記事に心底共感したので貼る。

hagyou.hateblo.jp

実はこの記事に出てくるYahoo!知恵袋の質問をしたのは私なのだ。

 

当時すでに「解釈違い」という言葉は腐女子周辺にはすっかり定着していたんだが

どうも使い方が図々しくなってきてるというか、ファンの驕りのようなものを

当時感じたのもあって、2017年時点での詳しい意味合いを確認したかったのだ。

 

業の深さ。その通りだと思う。 

最近使われる「解釈違い」

今年に入ってから見かける「解釈違い」「公式と解釈違い」は、ちょっと違う。

ひとことで言うと毒が無いというか、単に「思ってたのと違った」

「私のイメージと違う」という意味で使ってるらしき人が多い。

 

例えば「(キャラ名)描いてみました!解釈違いしてたらすいません!」

「自キャラを描いてみたら解釈違い起こした」

「名探偵ピカチュウの毛並みが微妙に解釈違い」こんな感じだ。

 

もう同人用語であるという認識すら消えかかっている気がする。

 

上に書いたジオウのキバ回に対する「公式と解釈違い」と言ってる特オタも

けしてジオウの二次創作してるわけでも、何らかのカップリングに対する

脳内設定があったわけでも無く、単に「このキャラはこんなこと言わない」という

批判で使ってると思われる。

 

ある意味、原点回帰?

これを見ていて、私は正直なところ「イヤだなー腐女子の悪しき習慣が

オタク全体に広がっていく…」と思っていた。

 

でもよくよく考えてみれば、本来、解釈違いってのは単なる「解釈の違い」であって

それは年末にオタクが嬉々として紹介していたカトリックプロテスタントだとか

ガンプラのディテールの違いで間違ってないのだ。

 

それを勝手に「カップリングの解釈」という意味で使い始めた腐女子

むしろ特殊なのであって。

 

地雷という言葉も同じで、元は兵器だが世間が「踏むと大変なことになるもの」を

地雷と呼ぶようになり、そこから腐女子によって独特の意味で使われるように

なってしまった。

 

「嫌い」と言えない世の中

ただ、一方で腐女子が使ってたような絶妙にネガティブなニュアンスをこめて

「解釈違い」を使い始めたオタクも増えたように見える。

 

私の見た感じ、よく分からんまま無邪気に使ってる層と

無意識なのか知らんがネガティブな意味合いを込めに込めて使いはじめた層、

両方いる気がする。

 

これはオタク活動がSNS中心になってきたせいだと私は思う。

 

SNSでは流行に乗って面白いことを言わなければと思いがちだから、さっそく

「解釈違い」を使ってみた人もたくさんいるだろう。それが無邪気な層。

一方、SNSは批判的なことは言いにくい。叩かれたくない。 

だからネタっぽい言い回しで公式批判する便利な言葉として「公式と解釈違い」を

使うんだろう。これがネガティブな層。

 

腐女子カップリングで横に繋がる習性があるから

かなり昔からSNS社会と同じような息苦しさを抱えて活動してきたはずだ。

嫌いなものは嫌い、目にも入れたくないという繊細さ。

でも嫌いと言っちゃいけない同調圧力

だから、SNSでストレス感じるオタクが腐女子用語を便利に使い始めたとしたら

私は変に納得してしまうのだ。

 

 

 

腐カオス説

※昔ヤフーブログに書いていた日記を推敲・移動しています

 

腐女子はなぜ腐女子になってしまうのか?を色々考えてる中で

私が思いついた説のひとつを、「腐カオス説」と勝手に名付けた。

 

ざっくり説明すると、BLは男女の境界をいったん取り払う事で

興奮を得ているんじゃないか?という説だ。

 

これは「タブーの謎を解く」という本を読んでいて、もしかしたらこの理論で

BLも説明できる?と思ったのがきっかけだ。

 

 

境界上にカオスがある

創世記の冒頭の天地創造のくだりは、神がカオスから光と闇を分け、

空や海、草や木、動物たちなどを次々と分ける事で秩序を生み出していく様子が

描かれている。これは人間が分類によって世界を把握するさまを表してると

よく言われる。

例えば夜空に広がる無数の星を、人は星座というグループに分けて把握してきた。

 

分類ってのは人間の本能みたいなもので、言語でものを考える性質上、

考える対象には名前を付けなきゃいけない。だから対象に輪郭を持たすために

人は境界線を引いて分類する。

例えば昼と夜は、太陽が出てたら昼。沈んでたら夜。かんたんだ。

…しかし、日の出と日没の瞬間はどうしたらいいだろう。

この境界上のどっちつかずの存在が、人間を悩ませ怯えさせる。

なぜなら境界上の存在は分類できない。カオスそのものだからだ。

 

もうちょっと説明してみる。

 西洋の悪魔は両性具有だ。マルセイユタロットの「悪魔」を貼ってみる。

 

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出典:ANCIENT TAROT OF MARSEILLES ©Lo scarabeo.Torino

 

まぁ見なくても知ってるって言われるかもしれないけど、悪魔って

両性具有なだけじゃなく、コウモリの羽根やヤギの足、ツノなどが付いてることが

多い。 これはもう男女どころか、色々な境界にまたがったザ・カオスみたいな姿だ。

 なんで天使とちがって悪魔はコウモリの羽根が多いのかというと

恐らくコウモリが哺乳類のくせに翼で飛ぶという、鳥類との境界上のような

特徴があるせいだ。境界上にあるものはカオス的な存在だからタブー視される。

タブー視されたコウモリは、異常な存在、危険な存在として食べることを禁じられたり

悪魔の背中に付いたりするわけだ。

ちなみに仏像は、男性に見えるけど「男でも女でもない」らしい。

 

世界中にあるタブーを文化人類学的に説明すると、こういう風に境界上の要素を

持ってるものが危険視あるいは神聖視されて特殊な扱いを受けるという事らしい。

 

 話がかなりそれてきた感じがするけど、一応関係ある(と思う)ので

もうちょっと説明する。

 

こうやって安全に生活できるようになった人間だけど、

あまりに秩序だった世界だと、だんだん生命力が枯渇してくる。

だから、たまにカオスに足を突っ込んでエネルギーを得ようとすることがある。

 昔からあるお祭りで異様にエネルギッシュなやつ、けんか祭りとかだんじり

みたいなやつは、多分ハレの日特有のカオスによってああいう事になる。

(祭りの日は神域と生活域の境界上に位置するから)

ハレの日にあれをやることでケ(日常)の秩序が守られるわけだ。

そう考えると、成人式にヤンキーが荒れるのは人間の本能のような気もしてくる。

なんせ成人式ってのは子供と大人の境界上にあるハレの日なのだ。

 

境界上のファンタジー

ここまで書くと、もう私が言いたい事は大体伝わってると思うんだけど

一応説明してみる。

 

特殊嗜好と言われるジャンルを見渡すと、何かしらの境界上にあるものが多い。

BL、百合、ふたなり、TSF(性別転換)、男の娘など、男女の境界上にあるものは

その代表だ。

他にもケモノ、エルフ、人外、異形頭、アンドロイドなど、別の種や無機物との

境界上にあるものも多い。

あるいは近親相姦や獣姦のように、お互いの関係が境界上なものもある。

  

特殊嗜好から離れて、創作物全体を見渡してもカオスはあちこちにあって、

例えばラノベ系で流行った異世界ものもオルフェウス神話的な越境がある。

 

仮面ライダーなんかわざわざ「変身」と宣言して、体は悪の組織の改造人間、

脳は善良な人間という境界上の姿になることで超人パワーを得るわけだから

もう典型的なカオス的存在だ。そしてこの「変身」と「怪人とのハイブリッド」

という要素が平成になってもずっと受け継がれたのは偶然じゃないはずだ。

(バイクには乗らなくなってきたのに)

 

また境界上の存在は神聖化されやすい反面

不気味だとか不吉、気持ち悪いという印象を与えやすい。 

境界上のジャンルも外野からはキモい、理解不能と叩かれやすい。

 

TSF、ふたなりと較べてみる

BLは、イケメンを男女の境界上に置く事で興奮を得てるんじゃないか?

と推測したわけだけど、本当にこれで私の疑問が解けるんだろうか?

腐女子に特有なこと

とりあえずTSFやふたなりといった、BLと微妙に似たジャンルと較べてみる。

 

やおい穴装備した受けってのは、考えてみるとふたなり美少女の

ちょうど反対というか鏡写しになっていて、共通点が色々ありそうだ。

どちらも、読者から見て性対象のキャラが、自分と同じ性器を付けている。

 

考えてみると、これは非常に理にかなった姿だ。

例えば男性向けの一般的な男女のエロ漫画を見ると、視覚的には女の子を描写しつつも

体感的には射精を表現しなければいけないという矛盾を抱えていて

結果的に「射精の勢いで女の子がイく」という

謎に満ちたエロシーンが展開されていることが多い。

しかし、ふたなり美少女はこの矛盾をたやすく解決してくれる。

 

つまり「自分の身体感覚を性対象に代弁させる」システムとして

ふたなりやBLの受けは都合がいい。

 

TSFにはその逆の効果があって、多くの場合、男性向けTSFは

男が美少女に変身し、体の感触や、美少女から見える世界を

困惑や失敗を交えながら「男目線で」報告してくれる。

(おっぱいを触ってみる、トイレに行く、スカートをはくなど)

つまり「性対象の身体感覚を自分が疑似体験する」システムとして

TSFは重宝される。

 

BLにも女体化がたくさんあるから、男性向けTSFと似た効果を

発揮している… …のかなと思って女体化BLを見回してみると、

驚くほどTSFとは内容が違っている。

 

 

女体化BLのほとんどは単なる「受けが女の子だったら設定」

であって、そもそも「元は男だった」という設定すら消え去っている。

ひたすら身も心も可愛い女の子となった受けが描かれるのだ。

だから男目線で女の身体や女社会を報告するような描写は、まず無い。

  

恐らく、TSFとBLは別ものなんだろう。

だいいち、男性向けのTSFも男→女、腐向け女体化も男→女だから

鏡写しになっていない。

 

ただ、もしかするとふたなりとBLは、似たものかもしれない。

ふたなりBLが少ない理由も、よく「やおい穴で事足りるから」と言われてるし

BLの一部はふたなりに酷似していると言っていいような気がする。

オメガバースなど)

とはいえ違いも多々あって、ふたなりはキャラ単体もあれば男×ふたなり

ふたなり×ふたなりふたなり×女と、あらゆる組み合わせがあるのに対し

BLはなぜか必ず攻め×受けになっている。

 

女装させたい心理

話が変わるけど、女は男性タレントの女装を妙に喜ぶ。なぜだろう。

一方で男は女性タレントの男装をあまり好まないように見える。

生駒ちゃんも昔、事務所から男装を禁止されていたと言っていた。

考えたら宝塚や男装コスプレイヤーのファンも女性が大半で、

歌舞伎の女形とかオカマタレントやジェンダーレス男子も女が好む。

前におすぎとピーコが「女はオカマを仲間のように思ってるがこっちは思ってない」

的なことを言ってたけど、女はこういう性の境界上の存在に妙に親しみを抱く

傾向がある。

 

これがなぜなのかは分からないけれど、ともかく腐女子の異様な多さに対して

百合好きの男が少ない事、BLの受けは多かれ少なかれメス化しているのに

 百合の女キャラはオス化(ふたなり化など)する例が少ないことの

理由は境界のものに対する反応の男女差だと思う。

 

そしてBL女体化は、どっちかというとこの「イケメンを女装させたい」女の願望に

近いものかもしれない。

  

腐カオス説で攻め受けを説明できるか?

前にも書いたけど、「腐女子はなぜ腐女子になってしまうのか」を考える時、

この「攻め受け」の必要性が説明できないと私は納得できない。

 

単に男女の境界上の存在にして萌えを得ようとするだけなら

攻め・受けという役割分担が必要ないはず。

例えば受けだらけのイケメン動物園みたいなものを作るんでもいいのでは?と思える。

 

しかし前にも書いたけど、攻め受けのないBLは存在しない。(多分)

半月くらい考えてみたけど、これを腐カオス説で説明するのは無理だった。

これについてはもうしばらく考えてみることにする。

 

地雷は説明できるか?

境界にまたがる事象には、タブーや独特の儀式が生まれやすい。

だから結婚式は白装束に角隠しを身に付けるし、年越しには家に松飾りを付けて

結界を張ったりする。

 

腐女子が言う地雷は、タブーと同じものなんだろうか?

例えば腐女子はよくBLの良さを語る時に「同性愛ゆえに悩んだり背徳的な感じがいい」

とか言う。じっさい同性愛は古今東西でタブーと見なされて弾圧を受けてきたし

容認されているはずの今の時代でも、なんとなく後ろ暗いイメージを持つ人が

多いのは男女の垣根を超える行為だからだ。(境界の理論で言えば)

 

腐女子にとっての地雷は、絶対に見たくない、見たらショックで寝込むほどの

ものらしい。この感覚はタブーを侵した人間の反応に似ている気がする。

例えば猫の肉をそうと知らずに食べてしまったら、ショックで寝込むかもしれない。

きょうだいと勢いでセックスしたら、後ろめたさに苦しむかもしれない。

これがタブーを侵すショックだ。

 

じゃあ境界にまたがってると思われるオタクジャンルに、同じようなタブーや 

地雷持ちが多いかというと、そうでもない気がする。

ふたなり好きなんか、見てると「玉ありか、なしか」で殺す勢いで論争して

いることはあるが、「玉ありを見てしまったショックで寝込んだ」とか

「玉ありかなしかを注意書きするべき」とか言ってるのは見たことがない。

 

それに腐女子の言う地雷のほとんどはカップリングであって、

やはり腐女子以外に同じような習性を持ったオタクジャンルは見当たらない。

腐女子の地雷は、腐カオス説では説明できないような気がする。

 

LGBTとの親和性は説明できるか?

これは多少いけそうな気がする。

 

境界上の存在ってのは非日常の存在、異質な存在であり、常人には無い能力や

運命を背負っていることが多い。

例えば安倍晴明は人間と白狐の子供だと言われる。これは後付け設定だろうけど

特殊能力者だから出自もカオス的にちがいない、となるわけだ。

スーパーサイヤ人が地球人とのハイブリッドの方が強いってのも似ている。

 

例えば2chの有名なネタで「邪気眼」というのがあるけど、あの男性は中学時代に

”人ならざる存在に寄生されて特殊能力を得てしまった俺”という設定になりきって

生きてたわけで、これはまさに人と怪物の境界上の存在への憧れから生まれた妄想だ。

 

エルサレム症候群というのがあって、エルサレムに巡礼に行った人の中には稀に

自分が預言者や聖人(の生まれ変わり)だと信じ込んでしまう事があるらしい。

預言者というのは神と人類を仲介する、境界上の存在なわけだ。

 

もうちょっと一般的な例をあげてみる。

小さい頃に「自分は捨て子なんじゃないか」「この家の子じゃないのでは」という

妄想を抱いた人は多いらしい。これも「うち」と「よそ」という境界をまたいで

来た存在かもしれないという憧れと不安の表れだ。

 

そしてLGBTも性の境界上の存在だからソドムとゴモラの時代から迫害を受けたり

好奇の目に晒されてきたわけで、腐女子がBLを漁るうちに自分自身もマイノリティ

だと思い込んでしまう可能性はあると思う。

 

また女は誰でも、思春期には女らしさとか性的なことに違和感とか拒否感を

抱きやすい。そういうつまづきも含めて女あるあるだと思うんだけど、その時に

「私は普通じゃない」「周りとは違う」と思いそうになるのはちょっと理解できる。

 

まぁ全員がそうだって言いたいわけではないが。

 

カオス系腐女子

 「腐カオス説」についてダラダラ考えてきて、やはりこの説では

腐女子の生態のごく一部しか説明できないと思った。

 

とはいえ、腐女子とひとくちに言っても色々なタイプがいて、私の推測だけど

「腐カオス説」に当てはまるようなタイプの腐女子も、少数派ながら

いるような気がしている。

ちょっと特徴をあげてみる。

これが半分くらい当てはまってて、恐らく二次創作界隈では嫌われるタイプ。

 

そして以下のタイプは多分カオス系腐女子ではない、別のタイプ。

  • 腐向け二次創作を好み商業BLを好まない
  • 固定派、地雷持ち。色々と繊細
  • 女体化好き

 

「腐カオス説」についてはもうちょっと考えてみる。

 

 

 

 

 

 

腐女子に特有なこと

腐女子を見てると、独特な習性が色々ある。

うちの娘も腐女子で、私の知人にも腐女子は多いので

「全員に100%当てはまる」ってのはなかなか無いのも分かってはいるんだけど、

でもやっぱり腐女子特有だと思うことが沢山ある。

 

よく腐女子自身は「たまたまBLなだけでNLや百合と何も変わらない」と

言うけれど、私にはどうしてもそう思えない。

そして「腐女子はどうして腐女子になってしまうのか」を考える時に

この腐女子特有の習性がうまく説明できなければ、納得できない。

そういうわけで、私が思う腐女子に特有な事を列挙してみる。

 

攻め受けが必ずある

私は、攻め受けがないBLを見たことが無い。

娘に聞いてみたら「多分それはもうBLではない」と言われた。

とにかくBLの男キャラは必ず攻めか受けに振り分けられる。

面白いことに腐女子は読み切りの商業BLを読んでいても、序盤から

「多分こっちが受け」と予想しながら読み進み、予想が外れると

「アレッてなった」などと言う。

そして攻め受けの予想が外れることは、かなり残念なことらしい。

 

しばらく前に「百合BL」というBL本のタイトルでtwitterが炎上してたけど

炎上は置いといて、この「受け×受け=女×女=百合」という考え方に

興味が湧いた。百合BLという用語は、百合界隈だと「声だけ男のネタ動画」

のことだったり「BLみたいに男前な百合」だったり、ゲイ界隈だと

「両方が女装したプレイ」だったりするらしい。それが腐女子にとっては

「受け×受け」のBLという意味になる。まぁ浸透してないようにも見えるけど。

 

それにしてもなんで攻めがいない世界なのに受けだと分かるんだろうか?

「攻め受けのないBL」じゃなくて「受け×受けのBL」なのだ。

ここからもやっぱり腐女子は必ず攻め受けを設定するんだなと感心する。

 

考えてみると「攻めがいなくても受けは受け」ってのは腐女子あるあるで、

よく腐女子は新しいジャンルに手を出すか迷った時に「受けはいるんだけど

攻めが見当たらないんだよね~」とか言う。そして関係性の低いキャラを

むりやりくっ付けた二次創作を見ると「攻めを都合のいい棒扱いするな」とキレる。

またタレントなどの話題になると「せーので攻めか受けかみんなで言う」とかやって

一致すると盛り上がったりもする。

つまり攻め受けはカップリング単位ではなく人物単位で決まってるらしい。

 

BL作品ではなく一般作品で二次創作する

腐向け同人が大量に作られる作品を見てると、もとからBLの作品が全くない。

ネットで二次創作を見てると、NLや百合はいわゆる公式カップリングの

二次創作が多いけど、腐向けは公式がBLじゃないから、基本全部が

捏造カップリングってことになる。

 

とは言っても最近は、腐向け作品というか一般作品を装ったギリギリBL

みたいな作品が激増していて、腐女子の間で爆発的に流行るのはそういう、

具体的に言うとおそ松さんとかユーリオンアイスとかおっさんずラブみたいな

作品になっている。

昔はジャンプ漫画が餌食になりやすかったから一般ファンとの軋轢も多かったけど

今はいくらか住み分けが出来ていると言えなくもない。

 

ただ私が不思議に思うのは、もうあそこまで露骨に腐女子を釣るんなら

BL作品ですと公言してしまった方がいいんじゃないの?と。

そうすればギャグアニメやスポーツアニメだと思って裏切られる

不幸な一般人も居なかったろうに。

 

ためしに、あんスタにそこそこ貢いだ娘に聞いてみた。

あんスタは娘いわく、いわゆる腐向け作品、腐女子狙い作品だ。

しかし、もし公式がBLだと断言してしまったら、あるいはゲーム内に

恋人同士と明言された男キャラが投入されたらファンは歓迎するのか?

娘が言うには「多分何割か去る」と。

 

これはネットを見ていても明らかで、例えばおそ松さんは腐向けアニメなのか?

という質問に、ハマった腐女子ほど「腐向けじゃない、一般アニメだ」と言い張り

ハマらなかった外野ほど「腐向けアニメだ」と言いたがる。

 

制作側にもすでにそういうマニュアルがあるに違いない。

腐女子を狙うならBLにしてはいけない」と。

  

00年代くらいまでの腐女子はもっとプライドが高かったような気がしていて、

あまりに腐媚びが透けて見えると「萎える」と叩かれヒットもしにくかった。

それが今は腐女子ウケしそうなキャラを投入するとまんまとヒットする。

うちの娘のように「露骨に腐女子狙いだと、許された…って思うよね」

とポジティブに解釈し、また「多分こいつは女とくっ付かない」という安心感で

素直に餌を食ってくれる腐女子が増えたように思う。

なのに公式が「BL作品です」「BLキャラです」と言ってしまったら、

それは違うらしい。BLと言われてしまうと二次創作や妄想の対象外となり

ただ鑑賞するものとなるらしい。

「あれだね、腐媚びは燃料だけどBLは燃えたあとのやつだから」と。

まぁ腐女子の全員がそういう考え方ではないと思うけど、BL作品の二次創作が

極端に少ないことを考えると、少なからずこういう心理はあるんじゃなかろうか。

 

腐妄想の対象が異様に広い

上と似た話なんだけれど、二次創作全般を見渡した時に

腐女子ほど、なんでも妄想の餌食にする人種はいないと思う。

場合によっては女キャラを男体化させたり、物体や概念を擬人化させたり、

あるいは擬人化すらせずにそのまま腐妄想する。

また芸人、スポーツ選手、棋士、政治家など、実在する人物での二次創作も多い。

NLや百合、男性向けだと、ネタならまだしも本気の二次創作は非常に少なく

あっても声優やアイドルがほとんどだ。

 

もし腐女子がやるように、男オタクがなかよしやちゃおをこぞって買っては

百合妄想やエロ同人で盛り上がっていたら…と考えると身の毛がよだつんだが

それを腐女子は30年以上前から精力的にやってるのだ。

 

LGBTとの親和性

これは前の日記で書いた。→腐女子とLGBTの密接さ

もちろんこれも全員には当てはまらない。うちの娘もそういう傾向は無いっぽい。

 

ただ割合としては多いってだけだ。

そう言えば昔の腐女子のサイトには、よく「生物学上は女」というよく分からん

自己紹介があった。…ためしに調べてみたら今も健在だった。

 

私が不思議なのは、イケメンを萌え対象にしている点で腐趣味は女性的だし

しかも攻め受けという男役・女役が存在している点で保守的だとも思う。

もっと言えば、イケメンに女の役目をロールプレイさせてるのがBLだとすら私は思う。

なのに当の腐女子の意見を見ていると、どうも逆の感覚を持ってる人が多いっぽい。

つまりBLは旧来の男女観に風穴を開ける自由な恋愛形態なのだと。

  

学級会、ルールの多さ

これも不思議に思ってることなんだけど

なんで腐女子界隈はこんなにルールやマナーが多いんだろうか。

また「隠れるべき」という考え方の人も多い。

いや、羞恥心や権利面を気にして自主的に隠れる人がいるのは理解できるが

隠れる「べき」というルールを作って守らせようとしている人の多さに驚く。

 

羞恥心や権利面、あるいは一般的なファンへの配慮だけが目的なら

あらゆる二次創作が同じ風潮になってそうなものだ。

 

それに腐向けはタグや注意書きが非常に厳密で、

腐向けでABとBAを書き間違ったら地雷持ちが発狂する。

それに比べると百合のABとBAはおおかた、ただの表記ブレだ。

  

いや、夢や百合が平和なわけではないし、同担拒否とか、

百合界隈が炎上してるのはよく見かける。上に書いた百合BLでも百合界隈が

相当キレてたし、けして平和で寛容なわけじゃないのだ。

でも腐女子ほどの細かいタグや注意書きのルールは、なぜか無いのだ。

 

 

 

 

 

・・・なんか腐女子に怒られそうなことばかり書いたけど、

正直いって私は腐女子にさんざん嫌な思いをしてきたので、憂さ晴らしも兼ねている。

  

とにかく「腐女子はなぜ腐女子になってしまうのか」を考える時に、

ここにあげた特徴が説明できないと私は納得できないのだ。

 

例えばネットを見回すと、こういう意見がある。

「少女漫画などのヒロインと自分を較べて惨めになったり共感できないから、

女のいないBLの世界に安心感を求めているんだ」と。

でももしそれだけなら攻め受けは必須じゃないし、そもそもBLである必要がない。

イケメンがワイワイしてればそれでいいはずなのだ。

 

「少年漫画は恋愛要素が少ないからとっつきやすく、そこから自然と腐女子になる」

という意見も同じで、じゃあBL改変する必要性がない。

 

 

「傍観者になりたいから」というのも同じで、攻め受けは無くてもいいはずだし

細かいルールや地雷が生まれるのも説明できない。

それに商業BLで事足りるはずで、二次創作の市場の方がデカい理由が見つからない。

 

もしかすると、ひとつじゃなく複数の理由が絡み合っていたり、

腐女子とくくられている中にもいくつかのタイプが混ざっているかもしれない。

ただ「攻め受け」これだけはどうしても必須のようなので、何か理由が

あるはずだ。

 

 

 

 

 

夢女子の定義が広がり続けている問題

私は夢属性が無いので、はたから見てて思うだけなんだが

近年、夢女子の定義が広がりすぎて殆ど意味が無いレベルまで

来ているような気がする。

 

夢女子=夢小説好き

昔は、夢女子といったら夢小説を好む女子だった気がする。

 

夢小説の定義は、ひとことで言えば「名前変換機能のある小説」だけど

主に、オリキャラヒロインを据えた二次創作小説だった。

我が家がネットに繋がった2000年当時、すでに夢サイトが複数あって

冷やかしで見て回った覚えがある。

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 名前変換機能のあるゲームならドラクエとか山ほどあるけど

二次創作小説になるとなぜオリキャラヒロインの夢小説が大半なのか、

私にはよく分からない。

 

そして夢小説、ドリーム小説という言葉が広まった時期と、

夢女子という言葉が広まった時期には意外と差があるように見える。

今検索してみると、「夢女子」という単語がYahoo!知恵袋に出てきたのは

2008年4月。(サービス開始が2004年)

「夢見乙女」で探しても2008年3月。・・・2008年に何かあったっけ??

ログ速のスレタイで探すと2011年2月。

「ドリーマー」だと埋もれすぎてて挫けた。

 

うーん、もっと遡れそうな気がするけど…

ということで探したけど、こんなブログがあった。

腐女子に対抗だ!夢女子と書いてムジョシはどうですか。(※Yahooブログのサービス終了でリンクが切れました)

 

この記事の中では夢女子を「ドリーマー」と呼んでいるから、

2006年12月時点で「ドリーマー」という用語は浸透していて

「夢女子」という用語は浸透してなかったと思われる。

 

どうやら「夢女子」って言葉が生まれたのは意外と遅くて

夢小説の成立の方がずっと早く、そして夢嗜好自体は無限に遡れる。

 

なんにしろ、当時の認識だと「夢女子」「ドリーマー」といったら

夢小説、ドリーム小説を好む女を指していたと思う。

そしてオリキャラヒロインのキャラ立ち具合への許容度は色々だったと思う。

 

 

SNS主流になり夢女子の定義が崩れる

2000年代前半は、まだ携帯小説や個人サイトが主流だったので

名前変換機能を導入した小説サイトを作りやすかった。

 

しかしtwitterやpixivが登場した00年代後半から

二次創作がSNSに移動し始める。

 

ここから「夢」の意味が崩れ、広がっていったような気がする。

 

ちょっと話がそれるけど、同人界隈にtwitterが与えた影響は地味に大きい。

それまでは二次創作ってのは本やサイトで見るもので、そこには

「書き手」と「読み手(買い専、ROM)」という二極構造があった。

それがtwitterになると、ちょっとしたネタや妄想、落書きやアイデアなど

作品未満のツイートも立派なコンテンツになり、これによって従来なら

カウンターを回す客でしかなかったROM層が可視化され、

大量に発信者に格上げされた。

別の見方をすれば、ss掲示板などで無名で活動していた職人が

コテハン化したとも言える。

  

twitterでの女オタクは、カップリングの嗜好を表明する必要がある。

カップリングによって厳密に住み分けられているからだ。

…私は二次創作しないのでこの感覚は分からないけど、そうらしい。

 

こうやって「夢」は、作品形態や嗜好からカップリング表記へと変化した。

また、その過程で「小説」「オリキャラのヒロイン」という条件が消えたり

「夢絵」「夢漫画」が大量に出てきたりもした。

 

それはもう単なるファンでは…?

私から見ると、もう「夢女子」って単なるファンというか、

単体萌えと同じなんじゃないかと思える。

男オタクにもこの「夢女子」というくくりが理解しにくいらしく

「萌えオタと何が違うのか?」とかいった疑問をよく見かける。

 

いや、極まった夢女子は今も昔も一定数いる。

twitterでも同単拒否とかガチ恋勢、過激派とかいった人たちから

腐でもNLでもないイケメンキャラ好きだから…と

消去法で夢女子を名乗ってる層まで色々いる。

この下層の夢女子はどのへんが夢女子なのか。

 

腐女子からの外圧が夢女子を生んでいる

 なんで消去法で夢女子と名乗るのかといえば、

恐らく腐女子に毛嫌いされているからだ。

 

腐女子はとにかくカップリングで考える。

とある男キャラが好きだ、という人がいれば「誰とくっつけるのか?」と聞き

女キャラを挙げれば「NLかよ」、特にいないと言えば「夢女子かよ」となる。

だから、叩かれる前に名乗っておこう、となる。

 

ただのファンとか単体萌えと夢女子は、私から見ればかなり違うけど

一部の腐女子から見ればほぼ同じなんだろう。

そしてそういう腐女子ほど声がでかい。

 

 

腐女子の増加

twitterを見ていると「夢腐女子」を名乗る人が年々増えている気がする。

どういう意味で使ってるのか詳しく見てみると、一番多いのは

「夢・腐どっちもいける」という意味で、例えばキャラAが好きで

Aとの恋愛妄想したりグッズを買い集めたりしつつ、Aの腐向けも好きという

単なる雑食である。

 

その他にも「ABの片方に自己投影している腐女子」や

「ABを見守るモブ女やお母さんポジ」で妄想する腐女子だったり

「男キャラのコスプレやなりきりで交流する腐女子」だったりする。

つまり腐女子特有の「自己投影してません」のスタンスを

何らかの形で捨てた腐女子が、夢腐女子って感じだ。

 

自己投影してませんの矛盾

多分、こういうタイプの腐女子は大昔から普通にいたはずで、

しかし「夢腐女子」という用語は、ここ数年じゃないかと思う。

「ドリ腐」って言い方もあった。 

 

腐女子は自己投影を非常に嫌う。

 

 

腐女子は”自分”の置き場所に非常にこだわる。

そして「ABの周りの空気になりたい」など、いかに自分が

客観的に眺めているだけかを熱弁する。

 

そして夢女子や夢腐女子を「キャラの私物化」とか言って嫌うのだ。

 

腐女子にとって私物化ってのはあくまでキャラと「自分」の妄想であって

BL改変自体は私物化ではないらしい。

 

twitterカップリングへのスタンスを表明せざるを得なくなった

ただの雑食腐女子が「自己投影してないと言えば嘘になる」と

胸に手を当てて正直に考えた結果「じゃあ私は夢腐女子だ」という

結論に至るのは、ごく自然な気がする。

 

というか、自己投影してませんってのが詭弁なのであって、

そこを認めた腐女子が夢腐女子、絶対に認めないのが腐女子

に私には見えるんだが…

 

夢おじさんという逃げ道

腐女子を見てて凄いと思うのは、モブおじさん目線でBLを見るという

萌えオタみたいな鑑賞法を編み出している所だ。

萌えオタ向けの二次創作やエロ漫画によくあるモブがなぜあんなに

キモいのか、女の私はよく分からないので男オタクが議論しているのを見てみたら、

「自分よりスペックが高い男だと気分が害される」という単純な理由が一番多かった。

腐女子の夢おじさんってのはそれとは違うように見える。

つまり萌えオタにとってのモブ男はあくまで他人であって自己投影先ではない。

あくまでモブ、AV男優に近いポジションだから、見下せる相手にしてある。

腐女子にとっての夢おじさんは自分の分身であり自己投影先だから、

キモいおじさんなのは謙遜なわけだ。

それは「周りの空気」から「空気吸う側」に自分を格上げするという

大それた(腐女子的には)行為への弁解に違いない。

 

一見すると、ちょっとだけ自己投影を受け入れた素直な腐女子に見えて

実は更に屈折してるというか、「AにもBにも自己投影してないったらしてない」

という頑ななまでの表明のように見えて仕方ない。

 

 

女はヒロインの描写にこだわる

それにしても、なんで女オタクはカップリングや自分の置き場所に

こんなにこだわるんだろう?

私は二次創作自体しないので、どうしても商業作品や一次創作の感覚で

考えてしまうんだけど、自己投影ってごく普通というか、基本じゃなかろうか。

ただメアリースーみたいなのは白けるってだけで。

 

二次創作を見回しても、男性向けはカップリングという概念が薄くて

単体萌えやモブ姦のような形が多い。

 

ただ、ひとつ思うのは、例えば商業作品のラブコメやエロ漫画を見ても

男性向け・女性向けの両方が女キャラをより多く描いている。

女にとって恋愛対象は男なのだから、ラブコメやエロ漫画は

イケメンの描写が中心になっても良さそうなものだが、やっぱり

ヒロインが中心に描かれるのだ。

 

BLの受けもある意味ヒロインであって、

ヒロインの描写に最も重点を置いてるのは間違いない。

 乙女ゲーでも、ヒロインの扱いで炎上してるのをよく見かける。

女性向け二次創作はカップリングというより、ヒロインの描き方、

もっと言えば自分の置き場所で分岐してるような気すらしてくる。

 

これがなぜなのかが私にはよく分からない。

というか逆に男性向けのギャルゲーや二次創作の主人公の存在の軽さに

驚くと言った方が正しいかもしれない。

 

腐女子とLGBTの密接さ

※昔ヤフーブログに書いていた日記を推敲・移動しています。

 

腐女子はカミングアウトしたがる。

 

色々なオタクがいるけれど、こんなにカミングアウトしたがる

オタクって、なかなかいないと思う。

 

例えばケモナーが「カミングアウトしたい」と言ってるのを見たことがまだない。

 

世間のカミングアウト具合

 

ところで世間は主に何をカミングアウトするんだろう?

という事でまた知恵袋に聞いてみた。

「カミングアウト」で検索して上から順に「何を」カミングアウト

したいorしたのか、票を取ってみた。(釣り質問は除外)

 

その結果がこう。

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カミングアウトの語源は同性愛者の表明から来てるので、上位は納得。

そこから意味が広がって、病気や障害に使うのも理解できる。

 

そう考えると「腐女子」の多さにちょっと驚く。

いや予想はしてたけど。

 

オタク趣味以外にも、少数派のカミングアウト内容には

借金・浮気・サバ読みなどの「言いづらいけど言わないとまずいこと」

全般があった。

ケンミンショーなどで濫用されているせいか、それは違うだろって事に

使われていることもあった。(年齢とか人から聞いた秘密とか)

 

ただ、オタク趣味全体を足しても3なのに腐女子が16という点が、

私はすごいと思う。

 

ちょっと話がそれるけど、ひとつ興味深い事があって

LGBTであることをカミングアウトしたいと相談してる人は女性が多いけど

カミングアウトされて困惑している、という相談だけ見ると、

男性からカミングアウトされた人の方が倍くらいいた。

 

どうも男性の方が意味不明というか「だからどうした」と思うような

カミングアウトが多いっぽい。

 

 

なぜ腐女子はカミングアウトという言葉を使いたがるのか

単純に考えて、2つの可能性がある。

1.腐女子にとって腐趣味はLGBTと似た部類のものだから。

2.BLやゲイに感化された。

 

たしか「おっさんずラブ」でもいきなり職場にカミングアウトするという

シーンがあったし、2も多少はあるかもしれない。

でも何となく、主に1じゃないかと思う。

 

 

 

腐女子の(自称)LGBTの多さ

腐女子には、なんちゃってレズが多いとよく言われる。

 

そこでもうひとつ知恵袋で調べてみた。

腐女子 相談」で検索して任意に抽出し、

腐女子が何に悩んでいるのか票を取ってみた。

 

一応前置きすると、知恵袋民はあまり熟慮しないというかノリがゆるい事、

あと小学高学年~大学生くらいの若者が多い事は差し引かないといけない。

ただそのお蔭でリアルの相談が多い事は、都合がいい。

 

 

結果。

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これは正直驚いた。

予想はしてたけどその数倍多かった、LGBT関連の相談。

内訳を書くと、32票中の18が「女友達を好きになった」という内容で、

残りの14が「女である事に違和感がある」「男になりたい」という内容。

両方を訴える人も数人いたけど、比重の大きい方で言うとそんな感じ。

 

あと腐女子からの相談だけ抽出したので、この中には入ってないけど

腐女子に告られて困っている」という非腐女子の相談も複数あった。

 

ワンクリ詐欺被害の相談が多いとこが知恵袋らしいっすね。

 

話それるけど一応ちょっと説明すると、

「腐活動についての相談」にはイベントの参加方法やtwitterの垢分け、

ネットトラブル、二次創作のマナーなどが含まれる。

「カミングアウトしたい・すべきか」のカミングアウト先は

ダントツで親。その次が恋人・夫だった。

「友達関係のトラブル」は、腐仲間が下ネタ叫ぶから恥ずかしいとか

腐女子のせいでいじめられる、男子にからかわれるなど。

時代なのか、婚活で真剣に悩んでるオタクの多さに驚く。

 

……というわけで、やはり腐女子が「カミングアウト」という言葉を

使いたがるのはLGBT寄りの人が多いせいだと私は思った。

 

 

腐女子はただのオタクではない?

それで私が思うのは、腐女子というのは、単なるオタクの分類の

ひとつなのではなく、何かジェンダー的なものなんじゃないか?と。

 

いや、たまたま腐女子LGBTがかぶってるだけだ、と言われるかもしれない。

あるいは、BLを見ているうちに感化されて「自分も同性愛者なのでは」

と思っちゃってるだけだ、と言われるかもしれない。

もちろんその可能性もある。

 

考えてみれば、百合とかNLとかケモノとか、もっと言えば巨乳やロリ、

ふたなりや男の娘とかいったジャンルも、ただのオタクジャンルや

性嗜好で分化しているってわけじゃなく、

それぞれが全く別のバックボーンを持っているに違いない。

そして個々のオタクにも、更に別のバックボーンがある。

つまり「ただのオタク趣味」なんてものは無いと思っといた方が

いいような気がしてきた。

 

・・・という前提で、腐女子の自称LGBTの多さについて

ちょっと考えてみたい。

 

 

なんで腐趣味をカミングアウトしなきゃいけないのか?

知恵袋でも「なんで腐女子ってすぐカミングアウトしたがるの?」

という質問が複数あるんだけど、私もそう思う。

 

もしかすると腐女子には他のオタクと違って

カミングアウトしなければいけない事情があるのか?

 

見た感じ、腐女子をカミングアウトしたい理由として多かったのは

  • ネット通販などで親にバレる前にちゃんと説明したい
  • BL本を買う許可を取りたい(主に小中学生)
  • 本当の自分を知って欲しい・隠すことに疲れた
  • もっと堂々と腐った話がしたい

って感じだった。

正直、この理由を見れば見るほど分からないというか、ますます疑問が深まる。

だいたい親に許可取らなくても本なんて買えるし、

子供に売ってくれないような本なら親だって買ってくれないよ!

ちゃんと説明したいって、正気か?

息子が百合の同人誌出して母親に大真面目に説明とかしないからね?

隠すことに疲れたってのも分からない。

私も他人に言わない趣味とか性嗜好はあるけど、隠して何が疲れるんだ??

仲間が欲しいとか話す相手が欲しいというのは、まぁ分かるけど

なんで親にカミングアウトするんだ…

 

そういうわけで私にはぜんぜん分からない。

 

やはり、勝間がレズビアンを世間に表明したように

腐女子にとって腐趣味は趣味にとどまらない自己表明なんじゃないか?

と思えてならない。

もちろん100%全員とは思わないけど。

 

 

オタクがキモいと言われる理由は幼児との共通点が多いから

  私はオタク女だ。

  オタクババアと言った方がいいかもしれない。

 

  たまに、オタク趣味があるというだけで物凄いバカにされたり

  見下されることがある。

 

  オタクとしては腹が立ちつつも、微妙に納得もしている。

 

  キモいとは一体どういう事なんだろう、と長年考えてきて、

  現時点での、こうじゃないかというのを書いてみる。

 

 オタク趣味は幼児が好む物が多い

 

  もう表題でだいたい説明終わるので、この先読まなくていいんだけど

  せっかくなので詳しく説明してみる。

 

  幼児はアニメやヒーロー物が好きだ。

  子供向けに作られてるのだから当たり前だ。

  そしてアニメや特撮のオタクは多い。

 

  幼児はなりきりセットや変身ベルトでなりきって遊ぶのが大好きだ。

  オタクにはコスプレやなりきりというジャンルがある。

 

  電車やゲームも、幼児とオタクが大好きだ。

 

  幼児はナチュラルに擬人化する。

  絵本や童話には擬人化されたキャラクターが多い。

  例えば雲や太陽に顔を描き入れたり、動物が二足歩行で喋ったりする。

  幼児は擬人化をすんなり理解するのだ。

  そしてオタクコンテンツの擬人化キャラの多さは異常だ。

 

  幼児は実写や写実的な絵よりも、単純化されたアニメやイラストを好む。

  デフォルメされ派手な色で塗り分けられたキャラクターの方が

  幼児にとって分かりやすく、好まれやすい。

  オタク向けのキャラクターも髪がピンクや水色だったり

  等身が低めにしてあったり目が大きいなどデフォルメされている。

 

  幼児は、キーが高くて抑揚のある声を好む。

  これのせいで母親や保育士は自然と抑揚をつけて高い声で喋るようになる。

  ファミリー向けの映画の吹き替えよりも萌えアニメの方がキーが高い。

 

 

幼児と似ている≒未熟、と見なされている

  私の推測だけど、オタク趣味をキモいと言う人たちは多分

  オタクの幼児っぽさを未熟とか発達が悪いと見なしていると思う。

 

  小学生の頃、足が速いとなぜあんなにモテたのか。

  恐らく身体能力が高い≒発達がいいという野生レベルの直観だ。

 

  オタクがバカにされるもうひとつの大きな要因が、見た目のダサさだ。

  しつこいけど私もオタクなので、ここだけは謙虚に受け止めようと思うんだが

  オタクファッションはやっぱりファッションとしては低レベルだ。

  うちの近所のイオンモールには、未だに全身アクシーズ女子が多い。

  アクシーズファム自体は別にいいと思うんだけど、見ててつくづく思うのが、

  オタクは首から上を驚くほど頑張らない。眼鏡にノーメイクで

  首から下はフルコーデ。そして着崩さない。

  プリキュアなりきりセットではしゃぐ女児と同じ着こなしなのだ。

  オタク男も同じで、ジャストウエストでシャツインし、

  登山家なみに高い位置でリュックを背負っている。

  小さい頃に親が着せてくれたのと同じなのだ。

 

ヤンキーの価値観は野生に近い

  オタクの天敵はヤンキーで、ヤンキーはとにかくオタクをバカにしてくる。

  私も以前、パート先に居た日サロとEXILE好きの店長から

  オタクキモイを連呼されてイビられ続け辞めたことがある。

 

  ヤンキー文化はオタクには理解しづらい。

  例えばなぜあんなに周囲を威圧するのか。なぜスエットにセッタでうろつくのか。

  なぜあんなに香水がキツいのか。なぜマフラーを改造するのか。

 

  多分だけどヤンキーは前頭葉の発達がいまいちなので(※オタクの偏見です)

  現代人の中でも野生に近い。

  だからケンカっ早いし威嚇を得意とする。

  大きい音や匂いでテリトリーを主張する。

  そして出産が早い。

  考えてみたら、生き物としては非常に理に適っている。

  社会全体で考えるとアレだけど。

 

  方向性は逆だが、オタクもヤンキーも、互いに相手をバカで幼稚で

  発達がアレな人種だと思ってるのだ。

 

 

コミュ力の高いオタクになりたい

  つきつめて考えると、オタク(というか私)の一番悪い所は

  人に好かれてない・人に好かれる努力を怠っている点だと思う。

 

  そもそも人間にあまり興味がない。ワイワイやりたくない。

  一人で何時間でも楽しく過ごせる。

  会社でも、必要以上に人と接触せず、省エネモードで動いてしまっている。

  オタク同志なら、それの何が悪い!と開き直れるんだけど

  職場や学校みたいな、色々な人間が助け合って回ってるような場所だと、

  当然ながら集団への貢献度は低く、自然と周囲との温度差が生まれてくる。

 

  そしてコミュ力の低さもまた幼児の特徴だ。

  幼児は、低学年くらいまでは自分中心に世界を見ている。

  そのため利己的だったり、また自分の世界に入り込んで空想の中で遊ぶのだ。

 

  オタク趣味を捨てたところでコミュ力が上がるわけではない。

  逆に言えばオタクでも人間に興味を持って役に立とうとしていれば希望がある。